見出し画像

人の最終地点

人には到達すべき最終地点があると思っていた。

それは精神面だけなのか物質や社会的な成功(金持ちになることなど)も含むかどう

かはわからなかった。

だけどこういうものが最終地点なんじゃないかなというぼんやりとしたイメージが

あった。

人の心の仕組みや物事の道理に精通して他の人が納得しなかったり反対をしてきた

としても確かに正しいと確信していて実際に正しいことを知っている人。

少なくともの要素は含む必要があると思っていた。

人間の最終地点を意識するようになってからそういう存在になるためにたくさん考

えて、本を読んで人とコミュニケーションをしてきた。

そのコミュニケーションはうまくいかないことも多かったがそれはまだその人たち

が僕と同じレベルにいないからだと思っていた。

同時に憤りも感じていた。

どうして自分の考えに共鳴する人が少ないのだろうかと思っていた。

なぜ浮いてしまうのだろうかと思った。

でもなにか考えるようなコミュニケーションじゃなくても楽しい。

一部の友達同士でしか通じないミームで笑ったり、しょうもない言い間違いで笑っ

たり楽しかった。

そう感じたことを自分の向上心が足りないとも思った。

自分は向かうべき最高地点に適した行動をしていないと。

でもどうしても楽しさを否定することができなくて理解不能なまま日々を過ごし

た。

自分が尊敬する人も向かうべき最高地点なんて話はしないしくだらないコミュニケ

ーションなんてことは言わない。

むしろ自分がそういったことを言うと注意される。

それではいけないと。

そうやって俺が間違っているのかなとか思ったりもしたけどそんなことないでしょ

と思った。

向かうべき最高地点はあると。

尊敬している人たちはあくまでそれ以外も大事といっているのだと解釈した。

だけどちょうど3日前くらいに尊敬している人たちがたくさんいるけど結構違うな

と思った。

これってどうやっても同じ場所にいかないなと思った。

これまではそういった矛盾を明確に意識する前にこの人はちょっと違うなと尊敬を

外し矛盾を意識しなかった。

全く無意識だったが今思えば自分の大事なコアを守ろうと防衛本能が働いたのかも

しれない。

日々より良くなろうと思っているので徐々にそういったことも起こらなくなり矛盾

を明確に意識した。

でも矛盾している人たちの尊敬を止めることはできなかった。

心からみんないいと思った。

だから自分の考えを疑った。

人に最終地点なんてものはないのではと。

衝撃だった。

自分の全ての細胞が変わったような気持ちだった。

だとしたら全てが説明がつく。

誰も間違ったなくて考えが間違っていた。

僕たち人間には好みがあってただの好き嫌いにすぎなくてべき論なんかじゃないっ

て。

なんで最終地点があるって考えたか考えてみるときっと正解があるって信じたかっ

たんだと思う。

学校の定期試験や上の大学に行っておけばいいとされている大学進学のように。

大学進学は本当はそんなことないけど。

僕は気がつけなかった。

ルールが変わったことに。

これからの人生は何が正しいかないなかで自分で考えて自分で責任をとってやって

いかないといけないことに。

一見正解に見えることが正解でもなんでもなくて不正解に見えることも不正解でも

なんでもなくてただ僕たちの考えと行動と結果があるに過ぎないってことに。

僕は楽をしようとしてたんだと思う。

自分で考えるのを自分で責任を背負うのを。

正直情けないなと思う。

だけど終わったことはしょうがない。

これからは切り替えてやっていく。

俺は人の心を掴んでファンになってくれる人がいてほしい。

そしてファンになった人たちの人生が前向きになって欲しい。

俺はわからないこともたくさんあるけど信じている。

きっと自分はなにかいいものを持っているって。

それが人の役に立つって。

もし最後まで読んでくれたならありがとう。

今後も自分の考えを届けたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?