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不要不急の文体

小さい頃から、ずっと変わらない人生の目標がある。

それは、「普通に死ぬ」こと。

漫然と抱いている目標なので、何が普通か、とはあまり深く考えていないのだけど、人生の最後の瞬間の事柄を目標にしたら、燃え尽き症候群にもならないし、案外いいじゃないの。なんて思ったりしていた。

そうこうして過ごしてくうちに幾星霜。
昨今のコロナの蔓延のおかけで、「死」がぐっと身近に感じられるようになった。
「死」は、もっとじわじわと近付いてくるものとばかり思っていたから、これは僕の思う、普通の死に方ではないのだと思う。

これでは死ねない。僕は普通に、漫然と死ぬんだ、と自分に言い聞かせて、今日も今日とてできる限り自宅に篭っている。

室内に毎日いると、窓ガラス1枚隔てただけのなにわ筋がひどく異質なものに見えてきたり、別世界のように思えてきたりする。
幸い、自分の家が大好きなので、精神的にはまだまだへっちゃらなのだけど、気の向くままに気密性の高い建物に行って、知らない人達と密集して、大きな音を聴きながら一番搾りをぐいっといってた日常をふと、思い出したりしておセンチになる。


あの頃に戻りたいとは思う。

だけど、全く同じ日常は、もう戻ってこないとも思う。

もし仮に終息しても、僕達はコロナ禍を体験した世界を過ごすことになるわけで。ひとりひとりの考え方や生き方は、去年と同じでは無いだろう。無くなる文化や習慣もあると思う。

そんな世界で僕は、ベストじゃなくてもいいからせめて、ベターな人生を歩めるのかなあ。

ここまでも、特に褒められるような人生でもないから、変わろうが変わらまいが、あまり意味のないことなのかもしれないけど。

特にこの2週間、自分は感染した。と覚悟した出来事があって、色々考えていた。結局、今のところ大丈夫そうなんだけど。

それにしても、元気なのに、まだ若いのに、すぐそこに来た「死」について真剣に考えることになるとは。

「もっと早くあれをしておけばよかった」「あの人に最後に会っておけばよかった」「あの時こうしてたら違ったのかもしれない」
諸々、なんとなく考えたけど、やっぱりなんとなくで終わってしまった。

なんとなくでやめといて良かったなって思うし、なんとなくでやめれた自分を褒めたい。

世界が変わったとしても、終息したらできるし。
そして、考えたことのうち、多分めんどくさい事は結局やらないと思うし。

やっぱり自分の適当な性格、涙が出るほど好きだな。
それが改めて分かっただけでも、この今のしんどい時期に意味があったと思える。

もうひとつわかったこと。

やっぱり、お酒は人とグラスをぶつけてから飲む方がおいしいよ。

次に人とお酒を飲む時も、お酒を零したりした時にサッとハンカチを出したらポイントが上がる、平和なエチケットは変わってないといいな。

楽しく暮らしたいね。
普通に死ぬより、楽しく死にたいかも。

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