母と言う名の女性の正体。

 先日、母から電話で、「お父さんが孫に会いたいねんて」と聞いた。母は何故か、「お父さんが」といつも付けて言う。自分が孫を見たいとは言わない。
それでは、週末、実家に泊まらせてもらおうと言ったら、「晩御飯何食べるん?何も食べへんわけにはいかんやろ」と嫌な言い方する。晩御飯をしたくないのだ。自分の娘と孫がたまに帰ってきて、晩御飯もしたくないってどういうことだろう。じゃあ、電話をかけてこなければいいじゃないか。普段、週3のパートで、時間を持て余しているのに、不思議だ。
 義理の母の実家に帰った時も、若干、迷惑そうにされる。明らかに、イライラしている。折角、帰ってきたのに。そして、いつも息子と喧嘩をする。

 私の母と義理の母。この二人が、イライラする原因を実は知っている。お金と気持ちの余裕の因果関係だ。子供や孫が帰ってきたら、何かをしてやりたい。でも、お金がかかる。お金をかけて、何かをしたい!でも、お金がない。結果、何も言わず笑顔で迎える余裕がなくなるのだ。

 特に、私の母は、普段からお金、お金と口を開けるとお金の話題だ。子供の教育には、お金がどれだけかかるか。お金の格差が、子供の格差につながるとか。私の妹は、去年、医者と結婚したのだが、ブランドの服を何着も一度に買ってもらったとか、ベンツをプレゼントされたとか。
 近所に住んでいる父の兄弟は、今日も旅行に行っている。どうして、私だけこんな目に合うんだろう。本当に結婚に失敗した。と暇さえあれば嘆いている。私の兄の子どもは、一番上が今年、中学になる。その子には、絶対に金儲けが出来る仕事をしろと言い聞かせている。
 
 かわいそうな母だ。お金に苦労しているというレベルの暮らしでもないのに。常に不幸だ。私は、母には、どこか、いつも清く正しくいて欲しいと思ってしまう。だから、人を妬む母も嫌いだし、お金に囚われている母も見たくない。

 でも、大人になって思う。母は母ではない。
 自分の幸せを見つけられず、家事・子育てをワンオペでやり、常にお金に縛られてきた1人の60代女性なのだ。これは、私の母だけではなく、義理の母の姿でもある。もしかして、未来の私の姿かもしれない。とふと思った。

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