神の聖なる日-4 神の宮で太陽を拝むだろうか?
太陽崇拝と日曜礼拝の起源
聖書の十戒にある安息日が、現在の土曜日であることを確認し、その安息日を聖日として守ろうとすると、ではどうして古代ローマで行われていた太陽礼拝の象徴であった日曜礼拝が、今日までキリスト教の礼拝日と考えられているのか、疑問が起きてくることでしょう。
またある人たちは、律法は廃されたのだから、クリスチャンはどの日に礼拝をしてもいいはずだと思っているかもしれません。しかし神様は、本当にどの日も関係なく礼拝を受け入れて下さるのでしょうか?
礼拝は、捧げることに意味があるのではなく、天の父なる神様が受け入れてくださることに意味があります。神様は、旧約聖書において、祭式や礼拝について細かい指示を与え、徹底的に従うことを要求されました(創世記4:3~5;レビ記10:1~3;サムエル記上13:8~14参照)。また新約聖書においても、パウロは礼拝のあり方について述べたあとで、「無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる」(使徒行伝17:29、30)と言っています。私たちは礼拝において無知であってはなりません。では、今の時代に、私たちが神様を礼拝することにおいて、悔い改めなければならないこととは何でしょう?
「人の子よ、イスラエルの家の長老たちが暗い所で行う事、すなわちおのおのその偶像の室で行う事を見るか。・・・彼はわたしを連れて主の家の北の門の入り口に行った。見よ、そこに女たちがすわって、タンムズのために泣いていた。・・・『人の子よ、あなたはこれを見たか。これよりもさらに大いなる憎むべきことを見るだろう』。彼はまたわたしを連れて、主の家の内庭にはいった。見よ、主の宮の入り口に、廊と祭壇の間に二十五人ばかりの人が、主の宮にその背中を向け、顔を東に向け、東に向かって太陽を拝んでいた。時に彼はわたしに言われた。『人の子よ、あなたはこれを見たか。ユダの家にとって、彼らがここでしているこれらの憎むべきわざは軽いことであるか。彼らはこの地を暴虐で満たし、さらにわたしを怒らせる』」(エゼキエル書8:12~17)
神様は預言者エゼキエルに、神の民と指導者たちが宮の中で太陽の神を拝んでいる、憎むべき姿を見せられました。この姿は、今日のキリスト教会で行われている、日曜礼拝と、形は違っていても本質においては重なっているのではないでしょうか。
中世の教父たちは、日曜日に礼拝をしているクリスチャンは、義の太陽と言われるキリストを礼拝しているのだと言って合理化していましたが、そのような解釈は正しいのでしょうか?
この旧約聖書の出来事は、実質的には、安息日を捨てて、太陽神を高く崇めた日である日曜日を聖なる日と呼び、キリスト者の礼拝日としたその後のキリスト教会の指導者たちの態度と、同じではないでしょうか?
エゼキエルの時代に、神の民だと気どっていたエルサレムの女たちが、涙を流していたタンムズとはどのようなもので、彼女たちはなぜ泣いていたのでしょうか?そして、長老たちはなぜ、顔を東に向け太陽を拝んでいたのでしょうか?
聖所から見て、神様の栄光があらわされる至聖所の位置は西側にあたります。つまり、イスラエルの長老たちが、顔を東に向け太陽を拝んでいたというのは、聖所の中で神様に背を向けて太陽神を拝んでいたということです。
伝説によれば、最初にバベルの塔を築き神様に反逆した、ノアのひ孫である二ムロデ(創世記10:8,9)の妻セミラミスは、死んだ夫の霊が太陽に入り太陽神になったと主張したと言われています。後に、セミラミスは二ムロデの霊が復活したと信じた、私生児タンムズを生みましたが、彼がイノシシによって殺された後、彼の霊は地下世界へ下ったという神話が生まれました。
農耕や牧畜の神と呼ばれたタンムズは、バビロン暦の第4番目の月に当たる現在の6月頃、草が乾く夏になると毎年繰り返して死ぬので、バビロンの人々は彼らの4番目の月を“ダウムジー”と名付けていました。後にバビロニアへ捕虜として捕えられて行ったユダヤ人たちもこの慣習にならい、ユダヤの宗教歴の第4の月を“タンムズ”と呼びました。タンムズが死んだ第4の月には、古代アッシリアやバビロンではイシュタルとして知られている、タンムズの恋人でもある愛の女神が、地下世界へ下って行き悲しんで泣きます。これに合わせて、地上の女たちは一緒に涙を流すという、忌み嫌うべき儀式を行っていたのです。
それから春になり、太陽が暖かさを増してくると、タンムズはイシュタルの愛情と涙によって再び復活して、農作物と草を生やし青葉にすると伝えられていました。このとき、その年の豊作と多産を願って、タンムズとイシュタルに捧げるための淫乱な春の祭りを催しました。
古代のカナンではアシタロテ、 ギリシアではアポロディテー、 ローマではビーナスと呼ばれるイシュタル崇拝が、エレミヤ当時の、背教の道を歩むユダヤの女たちによって行われていました(エレミヤ44:15~19)。エゼキエルに見せられたユダヤの女たちが行っていた“憎むべきこと”(エゼキエル書8:13~16)とは、女神イシュタルの恋人であるタンムズの復活を願いながら悲しむ涙であり、それは全く異教徒の義式なのでした。
聖書のみ言葉は、農耕に関わる古代の太陽をはじめとして、天体への崇拝を厳重に禁じています(申命記4:19、17:3;列王紀下23:5,11;ヨブ記31:26)。ところが、タンムズのために悲しみ泣いていたイスラエルの女たちと一緒に、イスラエルの宗教指導者たちは、神の宮で「顔を東に向け東に向かって太陽を拝んでいた」(エゼキエル書8:16)のです。このような行為は、まさに、“憎むべき”ことにほかならないものでした。
使徒ヨハネは、最後の時代を生きるクリスチャンたちを、真の礼拝へと招き、その重要性を次のように警告しています。「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」(ヨハネの黙示録14:7)。私たちは、今こそ、天地を造られた神の安息日を聖として、神をおそれ、神に栄光を帰する、正しい礼拝に立ち帰らなければなりません。
繰り返される背教の歴史
3,4世紀の教会の指導者たちは、聖書の歴史を通して、一貫して遵守されて来た礼拝日である“第7日安息日”をさしおいて、古代バビロニアの太陽崇拝を起源に持つ異教徒の日である日曜日を、キリスト教の礼拝の日に置き換えました。このような行為はエゼキエル当時の指導者たちの背教と、どこがちがうでしょうか?
アメリカの歴史学者ハイディー・ウォルターは『カトリック世界』の中に次のような記事を掲載しました。彼の発言を注意して調べてみましょう。
≪ハイディー・ウォルターの証言≫
“第四世紀のキリスト教会は、彼らに敵対する勢力であったローマ帝国内の太陽神礼拝との融合政策により、二つの制度を取り入れることになった。それは、ぺルシアの太陽神であるミドラの二つの聖日である、ディエス・ナタリス・ソリスと呼ばれる「太陽の誕生日」、つまり12月25日を「イエスの誕生日」にしたことと、西暦321年コンスタンティヌス皇帝が「尊敬すべき太陽の日」と呼んだ「日曜日」をキリストの礼拝日にしたことである。”
≪教会についての証言>
“教会は異教の礼拝日であった日曜日を、キリスト教の日曜日に作り上げた。また教会は、異教の復活祭(イースター)を変質させて、それをキリストの祝祭である復活祭として作り上げた。しかし、日曜日と復活祭の起源について注意深く見てみるなら、それらは両方とも同じものであるといえる。実際すべての日曜日は、もっぱら、復活祭を日曜日ごとに、部分的に繰り返すという意味を持っていたのである。・・・太陽は異教徒たちの神々の中で最上位の神であった。”
見過ごしにできない背教
こうした歴史的な背景を知らされていないために、クリスマスと復活祭を有意義に過ごそうとするクリスチャンたちを、罪に定めたいとは思いません。しかし、教会の中に起きてきた背教の歴史を学ぶとき、少なくとも十戒のおきてに明示されている“第7日安息日”を聖日として守ることは、正しく回復されなければなりません。天の父なる神様を、正しく礼拝したいと願う良心を持ったクリスチャンにとって、安息日は他の十戒と同様に、重要な戒めだからです。
神様は、怒りと憤りを持ってエゼキエルに、イスラエルの聖所の中で行われている憎むべきことを見せられました。そこでは、「二十五人ばかりの人が主の宮にその背中を向け、顔を東に向け東に向かって太陽を拝んでいた」のです(エゼキエル書8:16)。神の聖なる民と言われたイスラエルの、このような姿は私たちを驚かせます。聖所の中庭の最も聖なる場所にいた二十五人の身分は、レビ族の祭司全体を代表する24組(班)の祭司たちと(歴代志上24:1~19)、大祭司を含んだ数字だと思われます。彼らは、ユダヤ教の指導者たちでしたが、彼らが行っていた儀式は、東から昇る太陽を拝んでいたペリシテ(ペルシア)の太陽崇拝と同じものでした。
神様の聖所や、宮に入る門は、罪によって閉ざされてしまった“エデンの園の東に・・・命の木の道”(創世記3:24)が、イエスキリストの救いを通してもう一度開かれたことを表す意味で、いつも東を向くように設計されていました(出エジプト記27:13;民数記3:38;エゼキエル書47:1)。そのため、神様を礼拝するために聖所に入る者は、常に東の太陽を背にするような構造になっていました。
ところが、これらの二十五名の宗教指導者たちは、正反対に、神様の聖所へ背を向けて、東を向いて太陽を拝んでいました。タンムズのために哀しんだユダヤの女たちと、東の太陽を拝んでいた二十五名の宗教指導者たちは、そのような全く異教の宗教義式を、彼らなりに、イスラエルの神様への礼拝の儀式として行っていたことでしょう。もし、そうでなかったとしたら、あえて、神の宮で礼拝しなかったことでしょう。
しかし、「ホレブで主が火の中からあなたがたに語られた日に、・・・・日、月、星すなわちすべて天の万象を見、誘惑されてそれを拝み、それに仕えてはならない」(申命記4:15、19)と、釘を刺された神様にとって、エゼキエル時代の礼拝は、「ねたみをひき起すねたみの偶像があった」(エゼキエル書8:3)と言われるようなものであったことを覚えておかなければなりません。宗教指導者たちがそのようなことを行っていたとすれば、民もまた同じことを行っていたでしょう。
それゆえ、「その祭司たちはわが律法を犯し、聖なる物を汚した。彼らは聖なる物と汚れた物とを区別せず、清くない物と清い物との違いを教えず、わが安息日を無視し、こうしてわたしは彼らの間に汚されている」(エゼキエル書22:26)と言われた言葉をすべての指導者たちは覚えるべきです。なぜならば、それは決して“軽いこと”(エゼキエル書8:17)ではないからです。
それは現代においても同じで、牧師の信仰態度が信徒の信仰姿勢に大きく影響を及ぼしていくのです。
正直者の不正な取引(縮んだ物差し)
先祖代々呉服屋を経営していたある店の話です。ひとりの奥さんが、その店から欲しい長さの生地を買い裁断しました。ところが、実際に縫っていくと生地が少し足りませんでした。変だと思い、最近買ってきたばかりの物差しで測ってみたところ、生地が足りません。奥さんはすぐに生地を持って呉服屋に行き、主人に寸法が合わないことを話しました。
「そんなことはないと思います。私どもは何代にもわたって正直に商売をしてきて、皆様の信用を頂いております。寸法通り差し上げたに違いありません」。店の主人は怪しげにいつも使っていた物差しで寸法を測りました。「ご覧ください。正確な寸法になっております。全く規格どおりです」。とまどった奥さんは、急いで家に戻りもう一度測ってみましたが、やはり寸法が足りません。奥さんは自分の物差しを持って再び呉服屋へ行きました。それから、奥さんが自分の持ってきた物差しと店の物差しを比べたところ、「見て下さい。お宅の物差しは少し短いですよ」。本当に店の物差しは、長さがいくらか足らなかったのでした。
正直が売り物だった呉服屋にとって、それは信じられないことでした。規格より短い目盛りの物差しを使っていたのです。なんという悪徳商法を行っていたのでしょう。
しかし、それには事情がありました。この呉服屋で先祖代々使われてきた物差しは、長い間使っているうちに少しずつすり減り、結局、もとの規格より短くなってしまったのでした。呉服屋の主人はもちろん、先祖の人たちも皆、正直で信用ある人たちでした。しかし、心ならずもいつの間にか、規格より少しずつ短く生地を測っていたのでした。それは間違いなく過ちでしたが、その事情は同情できるものでしょう。
“神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、皆悔い改めなければならないことを命じておられる。”(使徒行伝17:30)問題は、これからです。知らずにこれまで短い物差しを使用していた店の主人は、これからはどうするべきでしょうか?寸法の足りない物差しをそのまま引き続き使うなら、事情は違ってきます。それは、明らかに不正な取り引きとなります。
裁きのメッセージとみ心にかなう礼拝
変造や偽造していない正規の貨幣だけを、私たちは使用しなければなりませんが、それは聖書においても同じです。新・旧約聖書66冊を、私たちは正典として、これを信仰と行動の唯一の基準としなければなりません。これ以外の、外典とか偽典と呼ばれるものを信仰の基準としてはならないのです。正典のことを、英語では“キャノン(canon)”と言いますが、これはキリシア語の“カノン(kanon)”から生じた言葉で、その語源は、節のある葦、真っ直ぐな棒や物差し、からきており、規準、とか法則(カラテヤ人への手紙6:16)という意味で使われています。
聖書は、クリスチャン信仰のただ一つの基準であり、善悪、正否の尺度です。中でも、十戒は、正しい信仰生活のための標準として、あらゆるクリスチャンの行いを判断する基準とされてきました(ヤコブの手紙2:8~12;マタイによる福音書19:16~19;ローマ人への手紙13:8~10)。さらに、十戒の中でも、創造主である神様に対する人間の本分としての礼拝の姿勢を明示したものが、第4条の安息日についての戒めでした。
ところがこの第4条の戒めだけは、土曜日から日曜日に変更されたままであり、多くのクリスチャンが、日曜日を安息日と呼び変えて、本来の土曜安息日を聖なる日としていないのです。聖書主義の立場をとるプロテスタント各教会の、このような態度は、全く理解に苦しむところです。
旧約聖書のダニエル書7章には、ひとりの王と呼ばれる勢力が、「いと高き者に適して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます」ようになり、「時と律法とを変えようと望む」ことが預言されています。つまり、神に敵対する力が、時やそれに関する律法を変更するというのです。これこそがまさに、十戒の安息日が土曜日から日曜日に変えられたことを表しているのではないでしょうか?私たちは、いまこそ聖書的に正しい安息日の遵守に帰るべきではないでしょうか?
日曜礼拝は、異教の伝説に起源を持ち、神の聖徒を悩ます力によって変えられ、長年の伝統や習慣に基づくというだけで、聖書の明白な教えにそむいているものではないでしょうか?もちろん神様は、毎日、毎瞬間礼拝を捧げるべきお方ですから、日曜日であれ、月曜日であれ、礼拝することそのものがいけないわけではありませんが、それが神様の安息日の礼拝に変わることは、決してないということです。安息日を含む十戒は、人間の神様への従順の試金石であり、審判の基準となることを覚えなければなりません。
王宮の雑草を守る衛兵
帝政ロシア時代のこと、若い皇帝がある日、王宮の庭を散歩していました。すると、その庭の一つで、ぽつんと歩哨に立っている衛兵を見ました。どうしてこのような場所を見張っているのか尋ねましたが、返事は「分かりません」ということでした。若い皇帝は、この庭に衛兵がいる理由を知ろうとして王宮の歴史を調べさせました。その結果分かったことは、かつてキャサリン皇后がこの庭をバラ園として、市民にも公開していましたが、中でも皇后がとても好きで大事にしていたバラを守るために、そこへ衛兵を立たせていたというのです。長い歳月が流れ、皇后は亡くなり、バラの庭は手入れもされず忘れられてしまいました。しかし、伝統をかたくなに守り続けてきた王宮の衛兵たちは、その後もずっと見張りを置き、荒れ果ててしまった雑草の野原を、理由も分からずに守っていたのでした。
天の父なる神様ご自身が、人の幸福のために定められた不変の道徳律である十戒、その中の安息日の戒めは、宗教指導者たちによって故意に変更され、長い年月がたってしまいました。天地創造の神様の、力と栄光がその中に書き記されている安息日のバラは、踏みにじられ荒れ果ててしまっています。本来の安息日である土曜日を捨てて、日曜日に礼拝をくり返すクリスチャンは、雑草の野原を意味も分からず守り続けるロシアの衛兵と、同じことをしているのではないでしょうか。
真理を愛する心と、聖書に従うことを喜びとする心を持たれたクリスチャンの皆さまは、この点についてどのように思われたでしょうか。
良心を自由にする真理
日曜礼拝の起源と歴史、安息日の変更についてここまで学んでこられた皆様が、この点について、正しい判断が与えられますよう心から願っております。
「なぜ、あなたがたも自分たちの言伝えによって、神のいましめを破っているのか」(マタイによる福音書15:3)と、悲しみながら語られたイエス・キリストの言葉は、今の私たちにも響いてくる言葉ではないでしょうか。ある教派や指導者がそう言っているというだけで、聖書が命じているわけではない日曜礼拝に対しては、「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい」(使徒行伝4:19)との言葉を覚えるべきです。使徒たちの大胆な信仰を私たちは学ばなければなりません。
真の礼拝は人間の本分であり、存在の目的でもあります。神様はご自分を礼拝する者たちが、正しい方法と正しい良心で神様に近づくべきであることを、はっきりと私たちに教えて下さいました。アロンの子ナダブとアビフは、異火を捧げたことによって、火によって焼き滅ぼされてしまいました(レビ記10:1~3)。したがって、神様を礼拝することにおいて、私たちは、人間的なあらゆる要素を排除しなければなりません。そうでなければ、それは異火を捧げているのと同じことになってしまいます。
「まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時がくる。・・・父はこのような礼拝をする者たちを求めておられるからである」(ヨハネによる福音書4:23)。
「神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」(ヨハネの黙示録14:7)。これらのメッセージは、真の礼拝の回復を願われる天のお父様からの、最後の訴えです。
安息日は創造と罪からの解放という2つの重要な出来事の記念日として、私たちの礼拝の根拠となるものです。
「わが救いの来るのは近く、わが助けのあらわれるのが近いからだ」それゆえ、「安息日を守って、これを汚さず、その手を押さえて悪しきことをせず、このように行う人、これを堅く守る人の子はさいわいである」(イザヤ書56:1,2)。安息日についてのこの保証は今もなお確実なものです。
「真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」(ヨハネによる福音書8:32)。神様のみ言葉は真理です。神様の真理に従うときにのみ、私たちには自由があります。
読者の皆様が「信仰の従順に」(ローマ書1:5)導かれますよう祈ります。
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