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「水曜日生まれの子は不幸になる」

小さいころから薄暗くて美しいものが好きだった。
ほんの少し暴力的でエロティックなものが好きだった。
キャンプなんか大嫌いだったし、夏の海になんて行きたくなかった。
同級生と無理して流行りのアイドルの話を合わせるのも辛かったし、
暗くてうるさい音楽を聞きながら自分の世界で過ごすのが好きだった。


でも周りにそんな薄暗い小学生はいなかったし、「暗いものは愛されない」と子どもながらに知っていたから、おとなしく過ごしつつも時々は明るく振る舞ったり、友達ともうまくやるようにしていた。
でも誰にも本当のことを話していないような日々だったと思う。


「アダムス・ファミリー」を初めて観たのはそんな薄暗い小学生の時だった。10歳ぐらいの時だっただろうか、ものすごい衝撃を受けたのを今でも覚えている。常識も、他人の目も関係ない、当たり前に自分らしく振る舞うぶっ飛んだひとたち(それも家族で!)の姿に驚き、感動していた。そしてあの全編ブラックユーモアのなかに流れる不思議な温度の「あたたかさのようなもの」に惹かれていた。


中でも同じ年頃のウエンズデー・アダムスの存在は衝撃的だった。
自分が美しいと思うものを愛し、自分の嫌いなものははっきり主張する。
知性と狂気が共存している冷静な女の子。
無理して友達付き合いをしたりしないし、
自分を否定されてもやられっぱなしではいない、自分の正義をちゃんと持っている美しい女の子。
小学生のわたしは彼女になりたかった。
なれなかったけど。


金曜ロードショーで放送されていた「アダムス・ファミリー2」を数十年ぶり見返して確実に自分を形成した作品の一つなのだとはっきり気がついた。
今でもわたしはウエンズデー・アダムスになりたいと思っていた。


あの薄暗い小学生の時にアダムス・ファミリーを見て本当によかったな。
愛や美やユーモアにもいろんなかたちがあるのだと幼少期に教えてもらったことをいまでも深く感謝している。


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