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sosoの素(29)

心と身体と頭のこと 最終話

心と頭のことを考えると自分の中にあるものなのに別々のもののように思えてくる。頭は頭で頭の都合で勝手にいろいろ考えを広げていくし、心は心で大人しくしといてよーと思ってても急にウキウキして浮かれたり、ドーンと落ち込んだりでコントロールが難しい。

頭が良ければそれでいい、みたいな空気の時もあったけど、頭だけがよくても理屈や理論を持って来て自分の正しさを高圧的に理解させようとする人も多くて、頭の良さの種類も重要だよね本当に。
勉強ができることと心地よく生きることは別の話。

心ってとても生きもの的で理論だけでコントロールできない。今ある環境に合わせてなんとか生きていくために馴染むように変形していく。たまに山の中の道で出くわす、木がガードレールを巻き込んで一体化してても育ってるみたいなのもその現れ。自分であって自分でないからそこをコントロールしようとすればするほど離れていくからコントロールしないことが大切。
この辺りは人との関わり方と似てるけど、程よい距離で寄り添いながら見守りつつのびのびできる環境を作ってやって状況に応じて関わっていく手間が必要。

身体は一番物理的で、動けるようにしか動けないし、動かない方向や箇所は絶対に動かない。使えば使っただけ疲労溜まるけど使わなかったら退化していく。身体にとって心地よい負荷をかけてやるとぐんぐんと良くなっていくし、程よく使っていってメンテナンスしていくと快適に動いてくれる。
どんなにメンテナンスしていっても老化という現実からは逃れられないのもとても物理的でシンプルだ。

心は衝動的。
頭は論理的。
身体は物理的。

この三つのバランスをどのようにとっていくかでその人なりの個性になっていく。

僕らが過ごして来たこれまでの時代は頭で考えたことが優先で心と身体が蔑ろにされてきた。都市開発が盛んになり、自然破壊をしていたように。だけど少しずつそんな社会の限界みたいなものが見えて来て、次どうすれば良いのかわからなくて、いきなり化石燃料の使用を止めようと言われてもそのハードルが高すぎて現実的に思えないのも当たり前だけど、ちょっとそこまでに行くのに車を使わないとか、ゴミを拾うとかそんなことが次の未来に繋がっていくはず。そのくらいだと意識が高いとか揶揄されることもないよね、きっと。

長々と書いて来た「心と身体と頭のこと」だけど、僕ら人間も自然と同じ自然物で頭で考えた人工的なものとは扱いがやっぱりちょっと違う。
これをしたから絶対大丈夫!とか悪くなったから交換みたいに簡単にいかない。日々の中で自分の変化を感じて、こまめに手間をかけてやることで多少の困難にくじけることのない心地よい時間をもたらしてくれる。
それは誰かに作ってもらわないといけないわけでも、お金でし買えないものでもないくて、自分自身で作ることのできること。それってすごいこと。

自分の幸せを自分で作れる。それを作ってくれる心と身体と頭を大切にしてのびのびしなやかに目の前の日々を過ごしていく。
その道程を振り返ったときに幸せを深くじんわりと感じるのかもしれないね。

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