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SOSOの素(8)

自分を褒める

誰だっていつだって褒められたい。少しでも頑張ったり大変なことと向き合ってたりしたらそっと寄り添うように労い、労わり、褒めてもらいたい。だって一生懸命やってるんだからさ。
そんなことを思っていても大人になるとなかなか褒めてもらえない。褒めてもらえないだけじゃなく、まだまだ頑張りが足りないなんて言われることの方が多いかもしれない。あーなんて切ないんだ。世の中は。

僕は自分で事業を初めたのと子育てのスタートがほぼ一緒でどちらも手探りで夫婦揃ってかなり一生懸命頑張ってたと思う。過去のことなのでどのくらい大変だった忘れちゃってもいるけど、その時はまさに暗中模索で藁をもすがる思いで毎日を過ごしていたと思う。それだけお互い必死だったから余裕がなくぶつかることも多かった。
そんな時だいたいは「僕はこんなに頑張ってるのに」とか「自分のことを差し置いて手伝ったのに」などの自分を褒めたり労って欲しい気持ちが頭の中いっぱいになってなんでわかってくれないの?なんて思っていたような気がする。だからこそ相手のことがなんだか嫌な人に見えて拗ねてこちらの気持ちをアピールしてしまうような態度を取っていたんだと思う。相手も僕と同等かそれ以上頑張ってるのを忘れて自分のことばっかり考えて嫌な奴だったよ、本当に。
拗ねても怒っても駄々を捏ねてももちろん誰も褒めても労ってもくれない。そりゃそうだ、関わったら面倒くさそうなんだもん。

自分のそんな気持ちに疲れてきた時にどうしたもんかなーと考えていたことがあった。こんなに頑張ってるのに、こんなにゆきちゃんのためにやってるのに、なんて思っていたらハッと我に返り、自分がどれだけ頑張ったか、大切なのか、どれだけ大好きなのか、それって僕自身にしかわからないことだ!と考え出したら今までの拗ねてた自分がバカらしく思え笑ってしまった。
朝から晩まで必死に頑張ったことや体調が悪いのにそれを抱えながらもいつもと同じくらいの仕事できたこと、相手を大好き気持ち、これは全部自分の尺度で誰とも比べることのできないもの。だからもしも自分で今日は頑張ったと思うことがあったら一人で自分のことを大いに褒めることにした。
そうすると不思議なもので相手のことも冷静に見えるようになり、こんなことまでやっててくれたのか、あんな大変なことを嫌な顔をしずにこなしてくれてたんだと気づくことができ、日に日に感謝が募り、ちょっとの愚痴や無駄話も聞くことができるようになり、僕から自然と感謝したり褒めたり、労ったりすることができるようになった。

しかし不思議だなーと思った。
元々は自分が褒めて、労ってもらいたいと思ってたくせにいざ自分で自分を褒めるようにしたら相手の大変さに気づき自分が褒められるより相手に感謝を伝えたくなるなんて。そして感謝を伝えていると今度は向こうから感謝や労いの言葉をかけてもらえるようになってきた。

お互いそれぞれ一生懸命頑張って、それぞれ感謝や労いの言葉を掛け合い、また頑張る。それのきっかけが僕は自分を褒めることでした。

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