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sosoの素(100)

日々の積み重ね

sosoの素100回目。毎週欠かさず更新してきて自分でもえらいと思う。
ものすごく忙しくて時間がないなと思いつつもここでやめてしまうとこれまでの積み重ねがもったいないなって気持ちが勝って自分に言い訳せずにやって来た達成感はやっぱりあるよね。

100回目なのでこれまで書いて来た内容の総括みたいな感じで書いてみようと思う。
僕はもともとずぼらで横着でいい加減。その性格が災ってたくさんの後悔をしてきた。それを周りのせいにしたり運の問題だと思ったりして来たけど結局自分が変わらなきゃ同じところで同じミスが起きて負のループから抜け出せない。それを変えて行くにはどうすべきかを考えると目の前のことをコツコツとやる、思い立ってすぐできることをうだうだ考える前にやるということ。
頭で考えるより手を動かして、千里の道も一歩からで一歩ずつ歩んでいくと気がついたらこんなに遠くまで来れたんだと何者でもない自分に感銘を受けたりする。

先日土井善晴さんの著書の「一汁一菜でよいという提案」を読んだ。レシピ本かな?と思っていたらおっとどっこい、料理を通して人と何か、どう生きるべきかの哲学書のような内容を広く深い知識と経験の中から優しくわかりやすい言葉で書かれていてとても心地よかった。

自分という資産をどう活かすかが人生においてとても重要だと思うのです。
資産運用をうまくやってる人を見て羨ましく思えて妬んだりする気持ちもわかるけど、その人と自分とは持っている資産の質が違うから参考にすることはできても真似ができないのも難しいところ。
結局は自分で自分の道を切り開こうとすることが大切で、そのチャレンジを試みてる人にはその手助けや応援をしてくれる人が必ずやってくる。

打算的に効率良く欲しいものだけを手に入れようなんて虫が良すぎる。
凡人が想像できる範疇の出来事なんてギャンブルと同じでたまには当たるけどトータルでは失敗の方が多くなる。

人は具体的な数字に弱く、恩や情よりも信頼に値すると思ってしまうのは人を疑って信じる心が弱ってるしっぺ返しのようなもの。手にしたければ手放すことが大切で、与えてもらいたければ先に贈らなければならない。全ては自分が良い思いをする前に自分以外の人に良い思いをしてもらうことが世の常なんだと思う。

世の中全てが事業計画のようにマーケティングや顧客情報などビックデータをもとにしたやり方でしかうまくいかないと思い込む病気のようなところがあると思う。もしそうであったとして果たしてそれで充実した人生を歩むことになるのだろうか?
偶発的な出会いや想像もしなかった方向からの言葉とかそんなものに気持ちは揺れ動いてhappyになったり落ち込んだりすることが心が淀まず綺麗に流れることなんじゃないだろうか。

年齢を重ねることに何気ないことに嬉しくなることが増えてくる。
空が綺麗だったり、綺麗な花が咲いていたり、小さな子供が元気だったり。そんな10,20代の時には普通や当たり前だと思っていたことが何とも言い難い優しいほわんとした気持ちにさせてくれる。
当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなく尊く奇跡の集合体だと感じれる心こそ毎日を必死に頑張って生きて来た証なんだと思う。
もしもこれを読んでるあなたがそんなことを思えたのなら頑張っている自分をたくさん褒めて労ってあげてね。

ザザッと箇条書きのように書いたけどこんなこと。
自分を活かすも殺すもあなた次第。
頑張ってるあなたの箸休めのような気休めのような存在あれればなと100回繰り返して来て思うのです。

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