SOSOの(素)11
つづける
継続は力なり
何度このことを今まで言われてきたことか。そのくらい僕は飽き性で移り気で一つのことに集中しずにあれもこれもと手を出していた。
そのおかげで今は色んなことができるようになってるとも思うからよかったのか悪かったのかはわからないけど、まあいいかって思ってる。
そんな僕でもこのnoteを続けられている。それ以外のことでも続けていることも多くなってきた。かと言って一つのこのに集中している訳じゃなく、その辺は相変わらずだけど、続けることができるようになってきたのです。
そのきっかけの一つは身体の不調から。
たくさん仕事がやってきてそれに応えたくて自分なりに必死でやってきた。感覚は20代、身体はおじさんなので自分のイメージに身体が追いつかないからそれを埋めるためによりハードワークをする。そんなことをしているから身体が悲鳴をあげて日常生活にも仕事にも大いに支障をきたすようになってしまった。もちろんマッサージや病院にも行きましたがその時は少し良くなったと思えても次の日にはまたおかしい。そんな繰り返しで気分もずっと沈む。ああこれが老化というものかと頭で身体の状況を濁して納得してた。
紆余曲折ありながら自分の身体を自分で整えるということを学び、騙されたと思って毎日のお風呂や歯磨きのように仕事前と仕事後に15分ほど体操をするようにした。始めは老人のように動きが悪かったのが2週間もすると可動域も増えスムーズに動くように。それに伴い身体全体が少しずつ軽くなり気分も良くなりだした。慣れてくると自分の身体のどの部分がスムーズに動かないか実感できるようになり、状況に合わせて体操やストレッチのやり方を変えたり考えたりできるようになってきたのです。
今では体操をしないと身体が気持ち悪いなーと思えるほど生活の一部になってきた。
僕が継続を苦手としていた理由は始める前から続ける意味があるんかな?て理屈っぽくすぐ考えてた気がする。目的もなくただただ継続をしていくことが好きじゃなかった。でも世の中には習うより慣れろ、継続は力なりみたいに考えずにとにかくやればいいんだよ!みたいな言葉が多いのと、続けることは誰でもできる当たり前のことみたいな感覚が続けることのできなかった僕には続けることもできない奴みたいなレッテルが突きつけられてるようで嫌だった。
身体を壊しそれを改善することを目的にした時、僕は続けることができている。このnoteもいつかはまとめて本にできればと目的を持っているのも楽しく続けてる要因。
そんな目的を持ってスタートさせ、始めはやっぱり大変だし怠けたくなるけど、とにかく自分を騙すように粘って積み重なってくると習慣化され、やっていないことが気持ち悪くなってくるまで辛抱するとあとは生活の一部になって当たり前になってくる。タバコやお酒や甘いものにギャンブルも始めは習慣化ではなく好奇心だったはず。人は何となく続けてしまったことが習慣化されるとやらないと居心地が悪くなる。これは人の面白い機能の一つでそれをうまく活用していたい。
そう考えると僕がsosoを始める時にお金がなくできることは自分でコツコツやってきたことも僕の身体の中では習慣化されていて何か考える時もお金有りきではなく自分有りきなことに最近気付いた。なんだ結構地道に続けてることがあったんだ。地道に少しずつ積み重ねてきたことは能力やお金だけでは作ることができない何とも言えない世界を作ることができる。そんな機能が誰にでも備わってるのはすごいなーと感心しているのです。
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