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sosoの素(13)

家庭料理 中編


前編で書いたけど、出産のあと1ヶ月だけ家事を担当していた。やり始めて早々にどこに何があるかがまずはわからない。調味料もしゃもじもお鍋も。俗にいう勝手がわからないのだ。これは困った困った。その都度ゆきちゃんに聞いて探して見つけるなんてしてるから時間がかかるしリズムも悪くて変な疲労感もあった。たまたま僕は一人暮らしをしていたから作る片付けることに苦痛はなかったけどやったことがない人ならたまんないだろうね。
1ヶ月毎日作って残りの食材を把握しながら買い出しに数日分の献立を考えながら有ったら便利そうなものも買っといて、車まで戻ってから、あ、洗剤がなかった、、なんて独り言も言いつつお店に引き返したり、食事を作るってことの周りにある用事だけでもたくさんあって本当にくたびれる。
ご飯は毎日毎日作らないといけない。疲れたから今日は外食でってこともあるけど、外食は外食で頻繁すぎると飽きてくる。僕の仕事で置き換えれば外食なんて仕事中のコーヒーみたいなものでちょっと一息程度。毎日の料理は今日が済んでもまた明日も明後日もその先も生きてる限り続いていく苦行のよう。料理が好きな人でも嫌になることもあるだろうし、苦手な人からしたら本当に辛いだろうね。そんな役目を担ってくれてる人にはやっぱり感謝をすべき。仕事よりも家事の方が大変だ!ってちょっと大げさに考えるくらいが僕の中ではちょうどいい気がしてる。

俗に言う男の料理ってやつはいい材料を買ってきて手間暇ましたよってのがわかりやすい調理方法を選択して、たっぷり時間をかけてやってやった感をふんだんに醸しながら威張ってる。僕に言わせるとこの家具はいい材料でいい木目で高級なものを職人が手間暇かけて作りました。一生ものですよ。なんて謳い文句の商品のようで心に響いてこない。口ではすごいですねって言うけどね。誰だって娯楽のように自分のやりたい時だけ好きな料理を手間暇かけてやるなら苦痛にならないし、苦痛になりそうならその瞬間にやめればいい。だから男の料理は家庭料理にならないし、それを煙たがる奥さんもいるのも頷ける。だって時間をかけて調理できることの方が珍しいんだもんね。

家庭料理ってなんだろうと思うことがあった。家族構成で作るものが大きく変わる。夫婦二人でお酒を嗜むならおつまみに少しお腹が満たされるものになるかもしれないし、小さな子供がいれば子供が嫌がらないものやバランスのとれたもの、大きい子がいればバランスや味よりとにかくお腹を満たせる量になるかもしれないし、お年寄りがいれば薄味で煮炊きした柔らかくて落ち着いたものがよさそう。そこに食材の在庫や消費期限に気分や季節、献立のローテーション。似たり寄ったりな献立だったとしても多くの選択と決定を繰り返してその中でベストがなかなか見つからないけど、なんとかベターなものになるようにして食卓に並んでることもあるでしょう。それはもはや立派なクリエイター。いい時はいいなりに、悪い時は悪いなりに結果を出し続ける。食材も自由に選んでいるようでスーパーで値段を見ながら吟味してきてるし、惣菜やレトルトだって助っ人外国人のような立派な戦力になって当然。とにかく毎日食事を用意しないといけない。そのプレッシャーと戦いながら家族のことや自分の気分、季節感や賞味期限と戦いながらみんなのお腹を満たして行く。やってくるお題やハプニングをバッタバッタと切り捨て次から次へとこなしていくその姿はクリエイティブな行為で僕のものつくりと一緒で仲間だと思える。大変な方に目を向けていたけどこれを少しクリエイティブ寄りな設定で置き換えてみると、自家栽培で取れる季節の野菜を消費しつつ、ハンターの友達が採ってきた鹿の肉を上手に使い、自分で仕込んだ味噌やお気に入りの醤油を使って食材の味を活かすように薄味に仕上げて、料理が映える器に綺麗に盛り付けて写真に撮ってsnsにアップする。こんな風に書いてみるとクリエイティブ感が増す。もしかしたらそんな暮らしがしたいわ〜なんて思う方もいるかもしれないけど、日々の食事を作るってことで考えると大差ないと僕は思う。オシャレってフィルターがかかってる方がいいように思えるけど、そんなのは実は時代の移り変わりであっさりと変わっていくもんなんです。
残り物を適当に混ぜて炒めたら思わぬ組み合わせで新しい発見をしたり、ご飯に味噌汁だけでもいいし、インスタントの味噌汁に七味をかけてもクリエイティブだし、卵かけご飯もご飯に卵をのせて混ぜるのと混ぜたものをかけるのではちょっと違う。手を抜いていることがサボってるんじゃなくて手を抜きながらも成立、つまりお腹が満たせてるすごさったりゃ本当にすごい。
どれだけこだわったか、どれだけ手を抜いたかが重要ではなくて、例えば朝晩だけ作って、外食分を引いて340日×朝晩2回=680食。これを10年したとしたら6800食。数字でみるとすごいね。これが10年では終わらず死ぬまで続くと思ったら引いてしまうくらいの回数になるね。

できることの範囲はそれぞれ違うし、都会と田舎でも違うし、家族構成やマメさも違う。全部全部違うから自分と違う人と比べずに基準は自分自身で大丈夫。毎日ご飯を作ってるってことだけで十分立派でクリエイティブで僕は尊敬しているし、それをもう飽きたのでやめます、なんてことも言えない中続けていけてるのは本当に立派だと思う。たまに自虐的に飯炊きババアだと自身のことを言われる方もいるけど、僕は昔から今もご飯を大盛りに盛って笑顔で渡してくれる人が大好きです。

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