死にたいおばけにとりつかれてる
昔は大義があった。
死ぬことで世界に警鐘をならすんだなんて、
自殺することで強いメッセージを遺せると勘違いして、
どうせ生きてる人はすぐに忘れるのに。
今は、前髪も長くなった。
まともに前も見ることが出来ずに俯く日々にただ死にたい、死にたい、を塗りたくるだけ。
一刻も早くというなら今この瞬間、こんなところで油売ってないでそのロープで吊っちゃえばいいのに。
あの日まで待つってまだ言ってやがる。どうせ薄れることを期待してるんだ。
決行日じゃなく決断日にするときめたのもそのせ