ミュート機能って結構こわいなって感じたこと

皆さん、こんにちは!曽雌です。

最近ずっと、このコロナの状況を乗り越えた後、子どもたちにどんな影響があるんだろうなんて考えています。

まず、大きな変化としては、オンラインでのコミュニケーションは、圧倒的に増えていきますね。

僕も、3月の終わりから、小学生にZOOMでの授業を始め、ちょうど一ヶ月ぐらいオンライン授業を行ってきました。

そこで、気づいたことが3つあります。

① 大人が思っているよりも、子どもたちはオンラインに抵抗が無さそう。

② オンラインは対話の空気づくりが難しい。

③ オンラインの方が、自分の意見を言えるようになった子がいる。


オンラインの抵抗感についてですが。

これは、子どもたちと大人の慣れによる違いの部分が大きいかもしれません。

オンライン授業が終わった後に、探究教室の保護者の方とやりとりをしていました。

その中で、

「隣で聞いていて、オンライン授業、実は親の方が構えていることに気がつきました。そうか、この人たち生まれた時からスマホもiPadもあるから、普通のことなんだわと。いつものクラスと何ら変わらないんだと。
そしてこの先も自然に生活の一部になるんだなぁと。」

こんなご感想を頂きました。

それを聞いて、僕自身、確かにそうかもしれないなと思ったんです。

僕ら大人にとっては、オンラインでのコミュニケーションは、なんだか違和感をもってしまうことがあります。

でも、この違和感ってなんだろう?

と、改めて考えてみると、1つの答えにたどり着きました。


それは、自分の価値観との違いです。

そして、その価値観はどうやって形成されるかというと?


これまでの経験や環境なんですね。

そう考えると凄く腑に落ちました。


私たち大人は、これまでコミュニケーションを直接とるのが当たり前で、オンラインでのコミュニケーションに慣れていなかった。

でも、子どもたちにとっては、オンラインでのコミュニケーションを取るための道具が生まれたときから存在していて、慣れている。


だから適応も早いし、使いこなすのも早いのかもしれないです。


最近、毎日さまざまな大人達とも、オンラインでコミュニケーションをとっています。

その中でこんな意見がありました。

「オンラインでのコミュニケーションって取りにくいんからあんまり好きじゃないんだよな~」


でも、これから社会にオンラインでのコミュニケーションが普及していった場合、、、

「リアルでのコミュニケーションって、なんか取りにくくて好きじゃないんだよな~」

なんていう意見が多数派になっていくんじゃなかろうか、なんて思っています。


例えば、電話もそうですよね。
電話が生まれたばかりの頃、きっと電話でのコミュニケーションに違和感を覚える方は多かったんじゃないかなと思います。

でも、今や電話でのコミュニケーションに違和感を覚える人は、ほとんどいませんよね。

それでも、電話でのコミュニケーションって、顔がみえないから取りにくいんだよな~という声も少なからずありました。

もしもこれからの社会が、

学校の授業もオンラインに変わって
仕事のあり方もオンラインに変わって
スポーツまでオンラインに変わっていったら、、、

「リアルのコミュニケーションって、相手との距離が近いから、取りにくいんだよな~」

なんていう意見が増えてくるんじゃないでしょうか。

そして、これは決してありえない話じゃなくて、十分にありえる未来じゃないかななんて思っています。


では、そんな未来がやってきたときに

子どもたちに必要になってくる場ってなんでしょうか。

それは、主体性を発揮する場だと思います。
今、子どもたちを取り巻く、オンラインの授業環境は、基本的に受け身なものが多いです。

一方通行の授業であったり、1対多の授業であったり。

ZOOMのミュート機能は、まさに受け身のスタンスの1つといえます。
自分から発する声を相手に聞こえない状態で進めるコミュニケーション。

そして、このミュート機能は、ホスト側がコントロールできてしまいます。
相手から一方的に声を聞こえないように、コントロールできる機能。
なんだかちょっぴり怖いですね。

だから、どうしても受け身になりがちなんです。

でも、同時に、オンラインでの授業進行としては、仕方がない部分でもあります。
みんなが同時に声を発すると、声がかぶって耳が痛くなってしまいます。

そうなると、一方通行のコミュニケーションが当たり前になって

自分から意見を言える人
自分から意見を言えない人

の差がどんどん生まれていってしまう気がしています。

本来、子どもたちがこの主体性を育む場が遊びだったんです。

遊びの中で、自分がやりたいことや、相手がやりたいことを自然に話しながら、遊びを生み出していく。

その中で、人と共感し、自分の意見を言いやすくなり、受け止めてもられる環境が作られていく。

自然遊びの良さもココにあります。

ただ、人が集まることのできない世の中では、この遊び場が失われてしまいます。


では、どうすれば良いのか。
それをこれからもっともっと考えて続けないといけません。

今日はここまで!
次回は、その方法について考えていることを、書いていきますね。

ALCまなびプロジェクト
曽雌りょうた

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