![マガジンのカバー画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/95136049/02ee570f79db7270d00901583038efbe.png?width=800)
操刷法師が戦闘用twitterアカウント(@sosatsuhoshi)で議論した事柄に補足を加えて記録するもの。魔術について、欲望について、表現の自由について、文芸について。
- 運営しているクリエイター
#ポケモン映画
twitterアーカイブ+:映画『劇場版ポケットモンスター ココ』感想
前夜 サトシが父親についてこれまで言及しなかったことには理由がある。サトシが旅の身の上であるというのが、その理由だ。ポケモンとは心的過程であるというテーゼに立って考えるならば、父親即ち「父の名」とはサトシが踏み込んでゆく世界の秩序そのものなのであり、キャラとして存在する必要が全くない。
その意味で、サトシ(レッドも)の父親の役割を何らかのキャラクターに負わせるなら、それはポケモンの分類学を提唱
twitterアーカイブ+:映画『劇場版ポケットモンスター みんなの物語』感想
前夜「みんなの物語」というタイトルは、ルギア爆誕のテーマであった「共生」に通じる。しかし、それは先にミュウツーの逆襲で「自己存在」を語っておいたからこそ、次のステップとして提示できたテーマだ。「キミにきめた!」は自己存在の物語ではない。自己存在なき共生(ハイデガーか?)を描けるのか?
ルギアは自らを評して、「私は私が幻であることを願う。それがこの星にとって、幸せであるなら」と言った。ここにこそ
twitterアーカイブ+:映画『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』感想
映画一回目 劇場版ポケモン(舞台挨拶回)を観た。以下、ネタバレを排除しながら所見を述べる。
この映画を、いつものクソ劇場版と言ってしまうのは容易い。過去作の要素をリサイクルした雑なお涙頂戴だと非難することも。しかし、これを一つのストーリーというよりイメージビデオとして捉え、ポケモンの世界観についての製作者側からの立場表明と解すれば、本作の持つ歴史的意義は極めて重い。
本作には無駄なシーンが