世界一周の答え<夫婦世界一周紀 最終日>
あと一時間で帰国するときに見える景色に、それほどの違いがあるわけではない。雲と、海と、山と、緑で構成された世界が延々と続くだけだ。
トゥヴァの丘の上で見た、ハーブ香る大草原の光景。
サハラ砂漠で食べた、熾火の上で焼かれたベルベルピザの味。
ハワイ島で9年越しに観た、輝くサウスポイントの夕日。
100日間に録り貯めた記憶のフィルムは膨大で鮮烈で、少しでも再生すればあのときがそのまま映し出されるように、その感触や匂いまでもが再現されるようだった。
それは、うーちゃんを無くしたハワイ島での記憶も同じで、ふいに喉にぐっとビー玉が詰まったままのような苦しい違和感が襲ってきて、僕はふうっと息を吐いた。
世界一周とはいったいなんだったのか。
いいことも悪いことも含めて、飲み込んで、受け入れた先に、その人生を肯定するか否定するかはその人に委ねられている。
世界一周は「人生最大の夢」にもなるし、「100日間世界で暮らした日々」ということにもなる。
結局、僕が得たものはなんなのだろう。
そんなことを考えているときに、ふいにイヤホンから流れてきた歌詞に心を奪われた。
「人はこれって時にどうしても、時間を戻せたらとか言うよね。でも誰も直せないんだな。昔からそうだし、まあしょうがないね」
その瞬間に閃光が走り、僕は涙を流していた。
・・・
春の日だ。
からし菜が咲き乱れる土手に遊びに行った。満開の桜が散る河原には水色の青空が広がり、僕もフウロもうーちゃんものんびりと散歩をしたのだ。
世界一周旅行は間近に迫り、準備に忙しくて心に余裕がない毎日。そんなさなかに訪れた、久しぶりの休日。
あのとき、うーちゃんはとってもいい顔をしていて、僕たちもそんなうーちゃんを見て顔がほころんだ。遺影に選んだうーちゃんの顔は、そのときのものだった。
来年にも同じように訪れると信じて疑わなかったあの春の一日。
今になって、平凡の思えたあの一日の重さに気づいたのだった。
あの日は普段では決して味わえないような、虹色に輝く時間だった。それは決して狙って生まれるものではないし、僕たちが世界一周に向けて突き進んでいたからこそ得られた、奇跡のような時間だった。
だが、その奇跡の一日は、旅行中に訪れたんじゃない。
日々のなかにあったのだ。
幸せとは、夢そのものを叶えたときではなく、夢に向かって進む日々の中に生まれていて、幸せだったことにあとになって気づくのだ。
ひょっとしたら、それこそが、僕が世界一周をしたでしか得られなかった人生訓なのかもしれない。
この先どう考えるかはわからない。それでも、帰国する直前に考えられた世界一周の答えに、僕はある程度満足していた。
さあ、帰ろう。
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ものづくり夫婦世界一周紀
2018年8月19日から12月9日までの114日間。 5大陸11カ国を巡る夫婦世界一周旅行。 その日、何を思っていたかを一年後に毎日連載し…
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