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【ためし読み】川井俊夫著『金は払う、冒険は愉快だ』③

関西某所のとある古道具店。その店主は、かつてブログが登場する以前のインターネットで多くの読者を魅了した伝説のテキストサイトの著者だった――中卒、アングラ水商売、アルコール依存症、ホームレスなど破格の経歴をもつ道具屋店主による、金と汗と汚物と愛にまみれた“冒険”の数々を唯一無二の文体で綴った痛快私小説。


 宅配便屋の倉庫の仕事は日銭を稼ぐのに一番簡単な方法だ。俺のような得体の知れないおっさんでも、電話をして、倉庫へ行って、なにか書類を二枚くらい書けば、その日のうちに働ける。

 ベルトコンベアに載って、荷物が次々と流れてくる。荷札を確認して、自分の担当エリアのやつを降ろし、そいつを足下に積み上げながら、隙を見てトラックの荷台に積んでいく。作業自体は単純だが、赤いビニールテープを巻いた棒切れを持って、怒鳴りながら倉庫の中をウロウロしている野郎が鬱陶しかった。
「もたもたするな! お前らは時間給の意味がわかってやがるのか? お前らは立ってるだけで金がかかる! ボサッとするな。そいつは泥棒と同じだ。お前らはボサッと突っ立って、会社の金を盗んでいるんだ!」
 相当にイカれた変態だが、野郎の言う通りだった。やはり世界は狂ってる。

 デカいガスボンベが4本、ベルトコンベアに載ってやってくるのが見えた。どうか俺の担当エリアじゃありませんように。だがそいつには俺の担当エリア名の書かれた特別製のタグがぶら下がっていた。デカいガスボンベが4本。こんなのは一人で降ろせるわけがない。トラックの荷台で荷物を整理している運転手に声をかける。
「とんでもねえやつがきたぜ! 手伝ってくれ!」
 男は俺と同じくらいの年頃に見えたが、この仕事一筋、本職のトラックドライバーという感じだった。今日初めて会った俺にもいろいろと要領を教えてくれた。親切な男だ。
「あいつは風船屋のやつだな。このルートだとたまにあるんだ。最悪だぜ」
 運転手と二人して、必死にボンベを降ろす。一つ取り逃がしたやつは、隣のエリアのやつが降ろしてくれた。そいつに大声で礼を言ってから、走ってボンベを取りに行く。
「おい! 持ち場を離れるな! お前は泥棒だ! 会社の金を盗んでいる!」
 どこかでサディストの叫び声が聞こえたが無視した。ボンベを両手で摑んでズルズル引き摺りながら、自分の担当エリアに戻る。

 なんで俺がこんな肉体労働をしなきゃならないんだ? 自分でもよくわからない。ただずっとまともな依頼がなく、儲かる仕事もなかった。店には誰も訪ねてこないし、電話も鳴らない。焦ったりびびってたわけじゃないが、せめて深夜にアルバイトかなにかすれば、収入がなにもないよりはマシだ。なにしろ俺には妻も子供もいる。コンビニエンスストアの仕事はやったことはないが、想像しただけで無理そうだった。難しすぎる。俺は頭が悪い。しかも40歳をとっくに過ぎている。日雇の肉体労働も本当にパワーの必要なやつは無理だ。身体はデカいが運動なんて何十年もしていない。

 しばらくは小包がポツポツ流れてくるだけだった。どうやら山場は過ぎたようだ。こんなペースなら楽勝。少し腰や脚が痛いが、この程度のクソ労働なら普段の買取りでも経験してる。エレベーターのない市営住宅の4階から化石や鉱物標本を車いっぱいになるまで一人で降ろしたり、古い蔵の2階からクソほど狭い階段を使って簞笥たんすを10竿以上引っ張り出したこともある。さっさと仕事を終わらせて金を受け取りに行こう。確か朝の6時までやって1万2000円だ。10回やれば12万。俺みたいな横着者で死人の品物を買取り、右から左に売って楽して稼ぐのが当たり前になっている人間にはクソほどムカつく賃労働だが、寝てるよりはマシだろう。いや、本当にマシなのか? そいつはわからなかった。だからやってみたんだ。今のところはマシな気がする。

 そいつは見たこともないようなデカいダンボール箱だった。高さが俺の身長よりある。長さは倍くらいあった。しかも二つ並んでベルトコンベアに載っている。この世にあんな荷物が存在するのか? どう見ても建築資材とかそんな感じだ。もちろん特製の巨大な荷札には俺の担当エリア名が書いてある。運転手に声をかけた。
「見てくれ! なんだあいつは! とんでもないクソがきやがった!」
 運転手は相変わらず冷静だ。その態度には敬意を抱かざるを得ない。このクソ仕事を何年も何十年もやってきた。労働のなんたるかを極めた、本物の男の態度だ。
「車のエアロパーツだ。前にも見たことがある。あんたの言う通り、最低のクソだ」
 悩んだり絶望したりする暇はない。たぶんサイコ野郎の設計したベルトコンベアの速度は、宅配便サイズの荷物を扱うことを前提にしている。俺は素早く先回りしてベルトコンベアを飛び越え、反対側に回り込み、デカい箱の横っ腹を思い切り蹴飛ばした。反対側で運転手がそいつを受け止めて、なんとか床に降ろす。立て続けにもう一つやってきた。同じように4回くらい蹴りを入れて反対側に突き落としてやる。
「お客様の荷物は大事に扱うんだ! そいつがお前らの仕事だ! 泥棒扱いされたくなきゃ、荷物は丁寧に扱うんだ!」
 またどこかで変態野郎の叫び声が聞こえた。今度は俺が叫ぶ番だった。
「うるせえんだよ! ぶっ殺すぞ!」
 倉庫では大勢の人間が働いていた。機械の唸る音、トラックのエンジン音、看守の叫び声、憐れな労働者たちの呻き。世界の終末を感じる。そろそろ貧乏人専門の神みたいなやつが、この倉庫に断罪の業火を食らわせてきそうだ。資本家やサディストの変態野郎に一発お見舞いして、貧乏人は苦痛から解放される。だが、きっと神はいないだろう。だから俺は時間まで働いて、事務所で1万2000円を受け取った。そして確信した。家で寝てる方がマシだ。


 電話の向こうで爺さんがなにか小さく叫んでいたが、状況はよくわからない。とにかくバカ息子が手配した片付け屋が3日後にやってくる。冗談じゃない。あのバカはなにもわかってないんだ。今日、今日中だよ。もう時間がないんだ。すぐに来てくれ。電話を切ってからマンションの住所を携帯電話で検索する。道順はすぐにわかった。Googleの地図なら敷地内のどこに車を停めるか、エントランスやエレベーターの位置もだいたいわかる。ついでに不動産屋のウェブサイトを見ると、そのマンションの空室が9800万で売り出されているのがわかった。金持ちの爺さんだ。

 部屋はマンションの5階だったが、既に息子夫婦が慌ただしく玄関の外までダンボールを積み上げていたので、表札を確認する必要はなかった。二人とも俺より若く見える。だがその父親は俺の親よりずっとヨボヨボだ。依頼者の爺さんは片付けの真っ最中でくしゃくしゃに散らかったリビングのソファに横たわり、一人では起き上がれないようだった。ひどく痩せていて、顔色も紫っぽいし、死期は近そうだ。きっと息子夫婦と同居するか、施設か病院送りになるんだろう。べつに家族インタビューをする必要はない。爺さんは息子に悪態を吐きつつ、あれこれと指差して、俺に絵を運んでくるよう指示した。

 爺さんにとって「どうしても」という重要なやつがいくつかあった。まず30年前に200万で買ったリトグラフ。この手のやつは大抵数万にもならないが、それは人気のある希少なやつで、一目見て今でも50万で売れるやつだとわかった。次にスペインの現代画家の肉筆で、これは日本では全然人気がないので10万にもならないが、30号くらいだったので買ったときは500万以上しただろう。それからSという有名な坊主に何かの記念にわざわざ描いてもらったという10号くらいの日本画だ。デカくて重い額絵が三つ。爺さんはそいつを自分の寝そべったソファの前まで俺に運ばせると、いちいちその思いを語った。死にかけているが、息子に対する怒りと苛立ちのせいか、声にも喋りにもまだ勢いがある。
「ちゃんと見てほしいんだよ。わかるだろ? ゴミにしていいようなものじゃないんだ。それをあいつは産廃屋なんか呼んじまって、なにを考えてるんだか。バカも大概にしろってな。あんたならわかるだろう? しっかりしたモンなんだ。震災でほとんどなんでも諦めてここに越してきたが、そいつをあのバカは……」
 爺さんの言い分はわかった。よくある話だ。だが息子にしてみればこのマンションを売れば9000万なんだ。中身なんてどうでもいいに決まってる。
「絵についてはわかったよ。あとでちゃんと値をつける。他にもそこらに転がってるやつを取っても構わないか? 小マシな箱に入ったやつや、百貨店で買ったらクソ高そうな食器がたくさんある。ここを空っぽにするつもりなら、買えそうなものは全部買っていくぜ」
 実際こいつは久しぶりに当たりの仕事だ。絵はさておき、売れそうなものがそこら中に放ってある。古いものは一つもなかったが、人気作家の茶道具や海外ブランドの食器、記念品や贈答品の類いもそこらの中小企業の社長レベルじゃない。爺さんは俺が知らないだけで、現役時代は相当稼いでいたそれなりの有名人だったのかも知れない。
「そんなのはもう全部好きにしてくれ。ほとんどは死んだ女房のやつだ。あとは誰かに貰ったものだと思う。あんたが儲かるように好きにしてくれていい。どうせあのバカが全部捨てちまうんだ! なんでも持っていってくれ」
 そいつは助かる。俺は目についた品を高く売れる順に片っ端からかき集めた。

 ソファに横たわった爺さんの前に、車に積める限界の量まで荷物を積み上げてから、息子を呼ぶ。爺さんが叫んだ。
「お前は引っ越しの準備でもしてろ! お前にはなにもわからないんだ! さっさと必要なものを片付けろ!」
 相当な剣幕だが息子の方は慣れたもので “よろしく頼みます” という具合に軽く俺に目配せをして、すぐに去っていった。たぶん日用品や衣類を運んだり、書類やらを整理したりしているんだろう。
「爺さん、よく聞いてくれよ。絵はな、お気に入りのこいつはたぶん50万くらいにはなると思う。同じ作家のやつは山ほどあるが、こいつは一番人気のあるやつだ。だが他の二つはせいぜい数万にしかならん。出来不出来の問題じゃない。品の良し悪しと売り買いする値段ってのは関係がないんだ。値段は人気と需要で決まる。だから買ったときの値段は忘れるしかない。オーケー?」
 俺は何百回も同じセリフを言ってきた。80年代や90年代に百貨店の美術部や外商で買った品をしこたま持ってる年寄りには残酷な言葉だが、事実なんだから仕方がない。
「プロのあんたがそう言ってるんだ。私は信じるしかないよ。あれこれ頼んでる時間もないしな。それで?」
 こいつは当たり前のことだが、爺さんにとってもう金なんかどうでもいい。どうせもうすぐ死ぬし、現金だって腐るほど持ってる。ただ認めてほしいだけなんだ。
「こっちに山積みしたやつは、全部そこそこ売れるやつだ。数千円から数万くらいのもんだが、数が多いからな。全部きれいに売れれば、こいつらだけでも30万にはなる。俺は噓は吐かないし、こっそり泥棒したりもしないから安心しろ」
 爺さんがまた小さく叫んだ。
「そうなんだよ! あのバカはなにもわかっちゃいない! 産廃屋やリサイクル屋なんて頼んだって、連中はなにもわかりはしないんだ! 金を請求されて、絵も美術品も全部泥棒されるようなもんだ! そんな人をバカにした話があるか!」
 本当なら爺さんの思いや気持ちの強いものは買取らない。それが俺のやり方だ。だがこの爺さんは数年先だか数ヶ月先だかわからないが、もうすぐ死ぬ。それまでの期間を過ごす場所に持っていけるものはほとんどない。きっとデカい絵を飾るスペースなどないどこかへ連れていかれる。
「俺の見立てでは、全部売れば80万から100万くらいにはなると思う。もう少し幅はあるかも知れないが、だいたいそんな感じだ。さっき言ったように買ったときの金額は忘れてくれ。今どき数十万で売れる品があっただけでも奇跡に近い。もっと悲惨な品は山ほどある。ラッキーだった、あるいはあんたや奥さんの趣味が冴えていたかだ」
 俺が話している間も爺さんはあれこれ指差してあれも持っていけこれも持っていけと呟いていたが無視した。このクソ暑いのにマンションの5階からこれ以上たくさんの荷物を運びたくない。俺は引っ越し屋の学生バイトじゃないんだ。運動不足のおっさんが一人でやれる作業には限界がある。
「だがな、悪いが俺が払うのは20万だ。20万で売ってくれ。交渉はしない。嫌ならやめよう。俺は強盗じゃない」
 顔色が悪すぎて爺さんの機嫌は読み取れなかった。だが不満はあるだろう。お前も泥棒と一緒だ! 死ね! そう叫びたかったかも知れない。
「なあ爺さん、あんたはずいぶんと身体が悪そうだが、頭ははっきりしてる。全然ボケてない。だから説明するよ。儲けさせてくれって話さ。俺には妻がいて、小学生の娘もいる。儲けた金で家族が飯を食い、娘はデカくなる。三途の向こう側には、どんな品も持っていけない。だが品物を売った金も同じように持っていけないんだ。20万は三途の渡賃だよ。他にも子や孫がいるなら、そいつらと一緒に飯でも食ってくれ。俺の言い分が気に食わないなら取引はやめよう。まだ1日ある。他の業者を呼べ」
 相変わらず死人みたいに痩せこけて、紫色の顔をした爺さんの感情は読みにくい。べつに息子と同じように怒鳴ってもらっても構わなかった。俺は品物の見立てから、今の一般的な売買金額、値付けとその理由まで、全部正直に話してる。負い目はない。

 荷物は一旦全部エレベーターの前まで運んだが、額絵がデカくて重いからそれだけでも重労働だ。何往復もして汗まみれになった。こいつをエレベーターで降ろして、またエントランスの向こうに停めた車までひたすら往復することを考えると吐きそうになる。最後の一山を抱えて玄関を出るとき、爺さんが息子に支えられながら、見送りに出てきた。
「まったく買ったときにはえらく高かったもんだけどな。しかしあんたは正直な人だね。もう私には死ぬこと以外なにもすることがないってのは傑作だった。その通りさ。毎日寝る前に明日こそは目覚めませんようにって祈ってるんだ。気に入ったよ。ちゃんと儲けなさい」
 もう品物を全部買取った、しかももうすぐ死にそうな相手に気に入られたところで何の得にもならないが、儲けさせてもらったのは事実だ。俺が見立てを間違えることは滅多にない。だから買った時点で仕事の大半は終わってる。
「ありがとう。儲けさせてもらうよ」
 あとはひたすら単純な肉体労働だ。汗まみれになって、ゲロを吐きながら車に荷物を積み込み、エアコンを全開にして車を出す。爺さんにはあんなふうに話したが、俺は家族のことなんて考えていない。生命保険に入ってる。商売がダメになったら死ねばいい。惨めで悲しい気持ちになるかも知れないが、それだけだ。妻や娘の悲しむ顔を想像したりもしないし、俺の世界では俺の意思より大切なものは存在しない。俺は筋金入りのクソ野郎だ。結婚しても子供ができてもなにも変わっちゃいない。それでも窓とエアコンを全開にして、荷物で重くなった車を走らせていると気分がよかった。場末のケチな道具屋だ。儲けなんてたかが知れてる。だが妻は俺の少しだけマシだった今日の仕事を喜んでくれるだろう。そんな母親の様子を見て、娘もきっと同じように喜ぶ。いい気分だった。爺さんの方が上手だったな。自分でも不思議なくらい、本当にいい気分だった。


https://hanmoto.com/bd/isbn/978-4-910413-11-2

川井俊夫|かわい としお
1976年横浜生まれ。中卒、アングラ水商売、ヒモ、放浪、酒で大暴走、ホームレス、放浪、ヒモ、ホームレス、結婚、会社員を経て、現在は関西某所で古道具店を経営。「川井俊夫」は筆名。かつて運営していたテキストサイトの文章をまとめた電子書籍『羽虫』(2014年、elegirl刊)には作家のこだまさんが推薦の言葉を寄せている。
Twitter:@toshiokawai1122

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