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【連載】古賀及子「おかわりは急に嫌 私と『富士日記』」②

いま日記シーンで注目の書き手である古賀及子さんによる、これからの読者のための『富士日記』への入り口。戦後日記文学の白眉とも称される武田百合子『富士日記』のきらめく一節を味読しながら、そこから枝分かれするように生まれてくる著者自身の日記的時間をつづります。

武田百合子著『富士日記』
夫で作家の武田泰淳と過ごした富士山麓、山梨県鳴沢村の山荘での13年間のくらしを記録した日記。昭和39年(1964年)から昭和51年(1976年)まで。単行本は上下巻で中央公論社より1977年に刊行、2019年に中公文庫より新版として上中下巻が刊行されている。


 日付があって、その日に食べたもの、買ったもの、人から聞いたことや行動が記される。『富士日記』は私たちのイメージする日記そのものだ。
 読むと、淡々と綴られる詳細な記録としての暮しのさまから、人というもの全体の雰囲気がどうしようもなく立ち上がってくる。ちょっとふつうの日記とは様子が違うようだぞと感じるころにはもう、文学としての豊かさを手渡されている。
 どういう秘密があるのか。研究して論じることは私には難しいから、『富士日記』の世界に自分のかつて見た景色を重ねてみるのはどうかと考えた。
 日記のある一文から発想し、記憶をたぐって私も書くのだ。
 同じようには書けない。でも同じ人間だから、下手でも呼吸ならできる。

✽ ✽ ✽

どちらも食べたいんですが

〔昭和四十一年〕十二月六日
〔前略〕松田ランドで一休み。カニコロッケ、ライス付を二人とも食べる。今日は丁度ひるどき四組ほど客があった。このまえ東京への帰りに寄ったときは、近くの飯場の人が、カレーライスとカキフライを注文していた。店の女の子が「カキフライにライスをつけますか」ときいたら、その人は、しばらく考えていて「ライスカレーについているから、そんなには食べられない」と答えていた。

武田百合子『富士日記(中)新版』(中公文庫) 39ページ

 一日は24時間あって、実はこれはすごく長い。起こったことぜんぶを精密に書きとめようとしたら日記は大変なボリュームになる。それを、それなりに長くても短くても、まとまった文章として書き記したとしたら、書いた人が書かれた事項を、作為であれ、偶然ただ覚えていたからであれ、選び取ったということにほかならない。

 とくべつ思ったこと感じたことを書かなかったとしても、24時間から抜いて書いたことには、書き手の意思がちゃんと発揮されているということになる。

「カキフライにライスをつけますか」
「ライスカレーについているから、そんなには食べられない」

 誰かが何かを聞かれて、しばらく考えて言った、それがこんなにもわくわくして愛おしくて可笑しい。

 おもしろい会話であることは間違いないけれど、その場ではそれほどわかりやすく味わいのある会話の様子ではなかったんじゃないか。店員が聞いて、まあそうだよなということを客がこたえた。きっとそれくらいだ。

 けれど、それを聞いた人がへえと思って、そうしてあとで書く、最後の書く、で、なんてことない時間の価値と強度が唐突に爆騰するのだから、もはや恐ろしいと言っていい。

 夕方買い物に出ると、駅前から続く商店街の唐揚げ屋は混んでいた。この駅のあたりは安価でおいしい総菜を売る店が極端に少ないのだ。それで唐揚げ屋が数少ない総菜供給店の貴重なひとつとして住民から集中的に頼りにされている。

 メニューは2種類のみ、塩味と醬油味で、注文のカウンターでどちらの味を何人前と伝えて会計してもらう。ちょうど前にひとり客がおり、私はうしろに並んだ。

「1人前で、塩味も醬油味もどちらも食べたいんですが、できませんか」

 前の客が店員に聞いている。私はちょうど、何人前頼もうか、3人家族とはいえ3人前で足りる気はしない。よく食べる時期の子どもが2人いるのだから4人前でも、もしかしたら足りないかもしれないなどと考えていたから、ふたつある味をどちらも食べたいのだという思いもよらない自由な注文についはっと顔をあげてしまった。

「1人前のパックには同じ味しか入れられないんです。パックのなかで味がまざってしまうといけないので。両方の味をお求めでしたら、それぞれ1人前買っていただけないでしょうか」

 よどみない店員のこたえまでは聞き取れたけれど、客がどうしたかは聞こえなかった。

 結局私は塩味を4人前頼んだ。前の客に店員がしたアドバイスを参考に、塩と醬油を2人前ずつ頼むのもありだなとは思ったのだけど、量が多くなるほど割安になる値段設定だから味は1種類でこらえた。

 注文のカウンターと揚場だけ、テイクアウト専門の小さな店だから、会計をしたあと揚がるまで待つ客がカウンターの前に二重三重とたまって、DJブースを囲むオーディエンスみたいになっている。

 唐揚げは一度にたくさん揚がって、そのタイミングで待っていた客に一気に行きわたる。さっきの客が呼ばれた。渡された袋には2パック入っている。

生きたり死んだりする鳥

〔昭和四十一年〕六月十七日
〔前略〕戸袋の鳥の仔は四羽死んでいました。 ころころころころと四羽ころがって死んでいた。よく覗くと蛆がいたので、棒を入れて巣ごと出して箱に詰め、火葬にした。仔はこっけいなへんな顔をしていてまだ変色していない。 犬や猫の仔の死骸のように生ま生ましくない。 背中の羽が親に似てきて、尾もちゃんと長く伸びてきていて、足も体の割合には大きなしっかりした足になっている。二羽は巣立って、 あと、親に見すてられたのだろうか。どうして死んだのか、ちっともわからない。しかし、何となく私がわるいことをしたような気持がする。覗いてばかりいて。 人間の眼で視られるということだけで、もう人臭くなって弱ってしまうか、親に見棄てられる、ということもあるかもしれない。
 巣は、大方は、うちの犬の毛で出来ていて、三分の一ほどが杉苔で、ところどころに赤や黄の糸屑や格子縞の洋服地のきれはしなど混っていた。

武田百合子『富士日記(上)新版』(中公文庫) 307ページ

 武田山荘では戸袋に鳥が毎年巣をつくる。親鳥はいくつかの卵を産んで、そのうちの何羽かは成長して巣立つのだけど、生育がよくなく見捨てられた雛が巣で死んでいる様子がたびたび描かれる。

 鳥の雛が死ぬさまは戸袋の巣のエピソードの他にも何度か出てきて、山の暮らしが鳥の一生と密接なことに気づかされる。

 都会では鳥は、居るだけの存在であることが多い。歩いていると空に飛んでいく鳥の腹と翼が見える、座って休むとそこいらでなにかついばんでいる。家にいれば姿は見えないが鳴き声が聞こえる。いつも近くにいるのだけど、ぱっと現れたようにそこにいて、生きたり死んだりする実感があまりない。

 いちどだけ、鳥の雛が道路に落ちているのを見かけたことがある。まだ保育園に通っていたころの息子とふたりで通りがかりに見つけて、どうしようと、野鳥の雛は人が触ると親が迎えに来ないと聞いたことがあったから、触れずに眺めて相談していると、大きな犬をつれたおじいさんがやってきた。

 雛をどうすべきか、おじいさんはアドバイスをくれているようなのだけど、大きな声の早口はよく聞き取れない。それよりも、犬が雛に興味をもちじりじり近づいているのが恐ろしかった。

「犬が心配なので少しリードを短く持っていただけないでしょうか」と頼むもおじいさんはどうも聞こえないらしく、やっぱりずっと大声でなにか言う。結局、犬は雛に飛びついてくわえた。ぎゃあと私が悲鳴をあげたのに驚いたか、道に落とした。

 おじいさんはまた二、三、なにか叫ぶようにしゃべって離れて行き、私はどうしていいかわからなくて、すると息子が雛を両手でつつんで道端の草の生えたところに置いた。

「まだ生きているようだから、病院を探して」と、息子はやけに冷静でいて、すんとして言う。スマホをまだ持っていなかった頃だから、急いで家に帰ってパソコンで検索した。

 近くの動物病院をメモして戻るともう雛はいなくて、鳥やねずみが連れて行ってしまったんだろうか。

 カラスとハトが空中で喧嘩しながら急降下して、駐車場の隅に生えた桜の木の根元に落ちて両方死んだのも見た。役所の人が来て袋に入れて連れていった。


古賀及子(こが ちかこ)
ライター、エッセイスト。1979年東京都生まれ。2003年よりウェブメディア「デイリーポータルZ」に参加。2018年よりはてなブログ、noteで日記の公開をはじめる。著書に『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』『おくれ毛で風を切れ』(ともに素粒社)、『気づいたこと、気づかないままのこと』(シカク出版)。
【連載・執筆】デイリーポータルZ北欧、暮らしの道具店シカクのひみつマガジン
【ポッドキャスト】古賀・ブルボンの採用ラジオ
X(Twitter):@eatmorecakes
note:https://note.com/eatmorecakes


【隔週更新】
次回は4月24日ごろ更新予定です
見出し画像デザイン:鈴木千佳子

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ほかにも素粒社の本いろいろあります


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