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ただあなただから愛したい、そんな日記 ~古賀及子×花田菜々子 『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』 刊行記念トークイベント@蟹ブックス ~【ダイジェスト】

2022年に高円寺にオープンして話題の書店、蟹ブックス。店主の花田菜々子さんをお相手に、 古賀及子著『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』刊行記念トークイベントが2023年3月3日夜に行われました。チケットは早々に完売し、たくさんの読者のみなさんとのなごやかで楽しいひとときになりました。
本を読みこんでくださった花田さんと、もともと花田さんのファンでもあった古賀さんの対談の様子を一部ご紹介します。

左から 花田菜々子さん、古賀及子さん


この日記は短歌や詩に近いかもしれない


花田 古賀さんの『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』を読むと、やっぱり「無さの美しさ」がいいですよね。何も起こらない。
 遠くから見ると、ほのぼの平和で楽しいおうちって見えるんですけど、美学というか、美しさがあって。それがなんなのかっていうと、やっぱり観察眼によるもので。輝く一文に魅力がある日記です。

古賀 ありがとうございます。うれしいな。とくに意識せず、日記は日記だと思って書いてたんですが、こうして出版することになって、作品としての日記について考える機会がすごく増えたんです。そのうえであたりを見回すと、原理主義的な日記という考え方がひとつあるなと思って。

花田 えっ、なんでしょう。

古賀 研究者でもないいち日記書きが感じたことでしかないんですが、原理主義的な日記の頂点は多分『富士日記』なんですよね。小題をつけちゃいけないんです。正しい日付がかならずないといけない。

花田 おもしろいです。

古賀 盛っちゃいけません。演出しちゃいけない。あったことを淡々と書く。記録であることが重んじられます。簡潔のなかに美しさが見出される。
 そのいっぽう、エッセイの色が強い日記があって。1日のはじまりから終わりまでを記録するのではなく、あることをピックアップしてそこだけ精密に書いて考える、または、人に読ませるためにおもしろく書くパターンもあります。テーマ性やエンタメ性があるものですよね。

花田 うん、うん。

古賀 簡単に言うと、記録か読み物かということかな。どちらかに別れるんじゃなくて、尺度というかゲージとして存在して、さまざまな作品が散っているようなイメージなんですが。
 私のはあきらかにエッセイ寄りで、さらに言うと些細な機微を拾い集めてかっこいい文章が書きたい、それで日記を書いてるところがあって。だから俳句とか短歌を作るのに似ているような……。

花田 私も古賀さんの本を読んで、これって短歌とか詩とかに近いのかなって思ったんですよ。
 私は短歌の素人なので、ある一首に対して、どういう状況なのかなと疑問に思うことが結構あって。状況が分からないからこそ抽象的な美しさ、繰り返し読める強さが出るんですけど。でも、つまり何を書いているかは、説明してもらってはじめて分かることがよくあるんですね。その助走としての説明つきの短歌なり詩が古賀さんの日記なんじゃないかって。

古賀 もう本当におっしゃる通りなんですよ。短歌と俳句は技巧の世界じゃないですか。決められた文字数にセンスとテクニックを使ってまとめていく作業ですよね。バチバチのバトルの世界というか。
 私はそういうことが本当に苦手で。ぜんぶ書くしかないんです。それで、結局日記になってるんです。もし私ができる側の人間だったら、きっと短歌とか俳句とか詩に、うまいことしてるはず。

花田 なるほどなって思うのと同時に、じゃあ短歌がめちゃくちゃうまい人が古賀さんと同じように日記が書けるかっていうと、やっぱりできないかもしれないと思う。

古賀 褒めですね。

花田 そうです!

古賀 やったー! いまも日記は書いていて、ただちょっと迷ってもいます。
 今回の本の書き下ろしがそうで、最近noteに載せている日記もなんですが、複数日の記録から、書きごたえのあるエピソードを抜いてまとめてるんです。

花田 日をリミックスして架空の1日を書いているんですね。ちょっと創作っぽくなってきたんですかね。

古賀 はい。でもそうしたら、今度は妙に一日一日がのっぺりしてきた。トピックひとつひとつはおもしろいけど、続く日々のうねりがなくなってきちゃったんです。
 だから今、また原点にたちかえって毎日あったことを淡々と記録してもいるんですよ。これは公開せず手元で。


子どものことを書こうとして書きはじめたんじゃないんです


花田 かっこいい一文を書きたくて日記を書かれてるということなんですが、家族のかたちを題材にしようとした理由はありますか。
 この質問、「子どもの可愛さや大切な時間を記録として残したいから」というのが模範回答じゃないですか。もちろんそれもあると思うんです。お子さんをかわいいと思う気持ちがすごく伝わるし、家族の時間のおもしろさが書けてる。でも「ほのぼの」とか「感動」とか「家族のすばらしさ」というメッセージにはなっていないですよね。そこが不思議で。

古賀 私はインターネットメディアのライターなので、とにかく量を書かねばならないととらわれてるんです。常々何かを書いていないといけない。職業病みたいなもので。
 いまはアウトプットの強制力が強い時代で、何かしら表現しなくちゃ、書かなくちゃと急き立てられることが多いと思うんですが、私は20年くらいずっとその感じなんです。
 で、「常々書く」のに日記はジャンルとしてすごく楽なんですね。暮らせば書けるから。取材や撮影をしなくても、生きてるだけで書くことがある。子どものことを書こうとして書きはじめたんじゃないんです。根源的に何か書かなくちゃと思い込んでる、それで、書きやすいから日記を書いてる。そしたらどうも偶然一緒に暮らしている子どもがいるなと、ただそれだけなんです。

花田 古賀さんはネットメディアの老舗であるデイリーポータルZにずっと在籍して、たとえば駆け出しの23歳ぐらいの、なんとかして注目されなくちゃいけないライターではないですよね。なのにそこまで書かねばならないと思っているのは意外です。

古賀 ははは。そうですよね。本当はもっとどっしりかまえててもいい。でも……うーん、ウェブのライターはみんなずっとびびってると思うんですよね。次いつどんな新人がやってくるかわかんない、常にみんながけっぷちにいて、ぼやぼやしてられない、根性でやる商売なんじゃないかなと思います。


株とかFXやってますけど損してま~す! と踊り出る


花田  私は古賀さんの文章をずっとネットで読ませていただいていて、デイリーポータルZもすごく好きで、めちゃくちゃおもしろいって思ってたんです。日記は書籍化の前にZINEとして出されてましたよね。ネットとは違う反響がありましたか。

古賀 そもそも買ってくれる方が現れたっていうのが本当に驚きで。やっぱり子どもの話をおもしろがってくださる方が多くて、子どものことを書こうとしたわけではなかったからそれも予想外の嬉しさでした。子育てジャンルが活況なわけがわかったぞ、みたいな手ごたえもあって(笑)。

花田 ふふふ、そうですよね。「なんでもない日々の本」ですってなると、やっぱり売る側的にも難しいです。「子育ての本なんです、でもね」っていう、入り口があると売りやすくはなりますね。

古賀 そういう意味では今回の出版はすごく恵まれました。版元の素粒社さんが、単なる子育てエッセイにはしないって気持ちを持ってくださって。この本ね、書き出しがいいんですよ。
「株とかFXが好きでスマホで取引をするのだが、だいたい損をしている」
 編集の北野さんによる、ただ者でないところを見せてやりましょうという采配です。

花田 ははは。

古賀 なになに、新しい子育ての本が出たな、お手並み拝見するとしようかって、めくるといきなりFXの話が書いてある。ざまあみろ!って。

花田 しかも「あ、投資とかもやるタイプの人の子育て本か」って思ったら、損してるんかい、って。文芸作品は出だしの1行が本当に大事ですが、これは確かにいいですね。出囃子ですよね。

古賀 そうそう、お囃子に乗って、株とかFXとかやってますけど損してま~す! って踊り出る。


もう子どものことはいっそ書かなくてもいいかな


花田 子どもたちが大きくなってくると、どこまで書いて大丈夫なんだろうっていう問題が発生しますよね。結果、日記がエッセイになり、エッセイが私小説になり、ということもあると思います。

古賀 あ、本当にその通りです。書き手やその近くにいる人々にとってはかつてからある問題ですよね。でもって、かなり今っぽい話でもありますね。「晒し」という言葉がどうも定着してしまって、人々に自分のありさまが明らかになることをネガティブに感じる方が増えてます。

花田 うんうん。

古賀 もちろん、風潮ではなく子どもたち個人が書かれることをどう思うかこそが大事なんですが。
 でも私はそこは特に心配していなくて。この本のテーマでもあるんですけど、 思春期の子どもと一緒に暮らしてるけど、いちばん多感なのはいつでも自分なんですよね。
 いま毎日記録的に書いている日記を読み返すと自分のことばかり書いてあるんです。だから、もう子どものことはいっそ書かなくてもいいかなとも思っていて。それでも書くことはたくさんあるから。

花田 へー、うんうん。

古賀 でもそうするとさ、子育て要素がなくなるから、人気は落ちるよな~とは思うんですけども(笑)。


日記を『フルハウス』みたいにしたかった


花田 この本で書かれている日記って、ドリフのセットみたいに、基本的にこの家の中だけで完結してますよね。古賀さんが友達と会ったとか、仕事でこういうことがあったとか外のことをほとんど書かずに、世界にこの3人しかいない感じなのが、ある種フィクション味があるというか。

古賀 すごく嬉しいです。おっしゃるとおり、書き割りの家の中にいる3人のシットコムなんです。 日記の世界を『フルハウス』みたいにしたかったんですよ。

花田 うんうん。

古賀 仕事のことは意識的に書かないように最初にそう決めたんですね。単純に業務のことは社外秘だよな~と。友達のことは実は最初のころに無断で書いて困らせてしまった方がいて。
 そうやってるうちに、どんどんどんどん家の中にこもっていったっていう。だからいたしかたなさでもあるんですけど、でも、同時にシットコムみたいにしたいって思ったんですよね。それを私はちょっとかっこいいと思ってるんです。

花田 ははははは、なるほど。

古賀 登場人物3人だけで、これだけいろんな芝居ができるなんてかっこいいじゃんって。

花田 それが完成してるからすごいんですよね。目指して書いても意外とこうなれない。
 やっぱり唯一無二だなって思うし、すっごいおもしろいです。


ただあなただから愛したい


花田 あとはやっぱり子への接し方も読んでいて面白いポイントでした。親と子の関係って、どういうことをしてあげるべきかとか、どういうことを取りのぞくべきかとか、どうやってこっちの方向に向かわせるかって観点になりがちだと思うんです。
 でも、この日記の中では、ひとつの楽しいチームを作るっていうのが全面に出てるっていうか。常識的な子育てをしている人が読んだら、「わっ!」ってなるんじゃないかとも思ったんです。

古賀 おお、それはあんまり考えたことがなかったかもしれないです。

花田 子どもがかわいい、こんなおもしろいことを言ったって書く人はたくさんいて、どれも本当にかわいいしおもしろいんですけど、古賀さんみたいな切り取り方はしないなって。
 定型文の切り取り方じゃないっていうか、「子どもってこういうこと言ってかわいいですよね」じゃなくて、「この人がこんなおもしろいことを言いました」って感じに見えるというか。

古賀 私にとって、子どもは他者性の強いものなんですよね。偶然集まった人たちだと思うところがある。自分ではない人である、という。

花田 うん、うん。

古賀 偶然のチームなんですよね。「あんた気に入ったよ、私のチームに入んなよ!」って集めたわけじゃない。

花田 そこのドライさがいいのかな。ただ、普通ドライだともっと視線が子どもと遠くなると思うんです。でも古賀さんは溺愛してますよね。

古賀 うん、大好きですね。他者っていうのは、やっぱりおもしろくて愛しいですよね。自分じゃ考えつかないようなことを言うし、思いもよらないふるまいをする。
 シンプルに、小さきもの、自分よりずっと年下の人のおもしろみとかかわいらしさも感じます。

花田 それは一般的によく書かれている子どもへの愛とも違うし、パートナーへの愛とも違う、不思議な愛だから、おもしろいんですよね。

古賀 もちろん自分の子どもだからかわいいっていうのは実際そうだろうとは思うんです。でも、自分の子だからと、あえて考えないようにしてるのかも。

花田 その辺がちょっと宇宙人っぽいというか、魅力になってますよ。愛の形がぽかんと浮いている、透明な感じがします。

古賀 自分の子だから愛してる、自分の子だから好きだっていうよりも、ただあなただから愛したいですよね。そういう、かっこつけた態度でいるからかもしれないです。


*蟹ブックスさんで本書をご購入する場合はe-honをご利用いただけます。詳細はこちらをご確認ください。

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