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おばあちゃんといっしょ。 その3

おばあちゃんはご近所に友達が多かった。

と言っても、今のおばあちゃん仲間のように、おしゃれして連れ立ってランチに行ったりはしなかったけど。一緒に近所に買い物行くと、あちらこちらから声をかけられていた。いつのまに知り合うのだろうと、いつも不思議に思っていた。

今でいうかかりつけのお医者さんに一緒に行った時だった。待合室で、その頃仲良しだった同級生の男の子のお母さんとおばあちゃんが親しげに話しているではないか!おばあちゃんに、そのおばちゃんのことを教えたことはないはずなのに・・・。

気になることがあれば、誰にでも気軽に話しかけていたおばあちゃん。おばあちゃんも通うそのお医者さんの待合室で、いつの間にか仲良しになっていたそうだ。私がその同級生と一緒に学校から帰った時、家から出てきた女性を見て「おばあちゃんやで」と言うと彼が「違うよ、ママや。ママーー!」と駆け寄り、唖然としたことがあった。おばあちゃんの話によると、当時としてはかなり珍しい40何歳かでの高齢出産だったらしい。当時、50代半ばだったおばあちゃんと近い年齢だった彼のお母さんは、子どもだった私には”おばあちゃん”に見えたわけだ。やっとできた子への可愛さや高齢出産の苦労やら、おばあちゃんはいろいろと話を聞いていたようだ。おばあちゃんは、からだの弱い私のことをいろいろ話していたのだろう。

おばあちゃんは、よく言っていた。「嫌いな人でも絶対にいやな顔をしたらあかん。誰とでも同じように付き合いなさい」と。だから、私は子ども時代はもちろん、今でもわりとその方針を守っている。無理に守ろうとしている意識はない。それよりも「こいつは嫌いだ」と簡単に判断するよりも、付き合っている間に普段見えなかった複雑であたたかい姿や気持ちを知ることがままあったからだ。そのように知り得た彼らの姿は、今でも忘れられない。そしてもちろん、その反対もあるわけで、他人のことはそう簡単にはどういう人物かを判断はできないものだ、というのが私の結論だ。それゆえに「本当に嫌いだ」と思う人は滅多にいない。

今は「嫌いな人と無理に付き合うことはない」というのがおおよその考えだろう。だけど、人のことをそんなに簡単に好きか嫌いか、信じられる人かそうでないかを、みんなすぐに判断できるなあと思う。そのある意味のんびりした姿勢からか、”いい人”ともよく言われる。その評価はあまりうれしくはないのだが、幼い頃の教えはなかなか変えられるものではない。


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