俺マジSNS向いてない
タイトルの通り、俺はまじでSNSに向いてない性格をしている。
自他共に認める繊細さんなので、何事も気にしすぎな俺は些細なことさえも疑ったり喜んだり落ち込んだりとかなり忙しい性格をしている。
SNSは常に時化ている大海原だ。そんな中、舟を漕ぎ出すぞ!と岸辺では意気込んでいても、オールをひとたび回すだけで「疲れたムリやーめた」と途中リタイアする生活を早十数年永く過ごしている。
ほんならやめたらええやんという単純明快な答えはとっくの昔に自覚している。本当にその通りだ。やめればいい。肩の荷が下りて楽になるんだし、要らん気を揉むこともなくなる。それでもやめられない。それは何故か、原因は既に判明している。
そう、「承認欲」というケダモノに取り憑かれているのだ。
だから俺はアカウントを消しては作り、消しては作りを繰り返している。正真正銘、俺は立派なSNS依存症なのである。
そもそも、SNSをやりたくて始めて(再開して)いるのに、急にやめたくなる瞬間が訪れるのは何故だろう。冷静に振り返ってみると、とあるサイクルとカラクリがぼやぼやっと分かってきた。
多分俺は、プレッシャーに弱いんだと思う。
どういう時にプレッシャーを感じるのかというと、たとえば「いいね数、RP数」に価値観を左右される。ポストをしたら周りの「リプライ」が気になるようになり、知らずと常に人の顔色を伺うようになる。(オタクなので界隈の空気にそぐう性格を形成するようになる。)周囲と馴染めていない気がして、浮いている自分は変だと思い始め、創作をして載せようとしても「どうせ人に見られないんだしな」と尻込んでしまう。かと思えば、ポストをした瞬間(秒)にいいねがつく。だから常に一挙一動を見張られている気がする。かと思えば、ポストや作品を載せた瞬間リムられる。かと思ったら、知らん間にフォロワ数が増えてる。個人的に良品だと思ったものの評価がイマイチだったり、逆に「え?」っていうモノがバズったりする。ワケわからん。
いろんな起因や原因があるだろうけど、創作をするコンテンツを担っている側にしか感じられないものは誰しもあるのではないだろうか。
俺が頭を悩ませているすべては、ついているフォロワや界隈の気色によって左右されるものだ。それは界隈を渡り歩いているミーハーだからこそ得た知識であり体験でもある。だから反応なんか気にしないで、自分のやりたいようにやればいいと分かってる。分かってはいるのだが、それが出来ていたら今ごろこんな記事をウジウジ書いてはいない。
とどのつまり、俺は未だケダモノに魘され続けているのだ。
創作を楽しむ。それが根本的な活力である。出来た!からそこで昇華が出来るタイプの人間か、載せよう!になっちゃうか。どちらに属するかによって、SNSの使い方というのは違ってくるんじゃあないかと思う。多分自己満足で昇華出来る人間はそもそもSNSなんぞという「持論の持ち出し社会」にわざわざ足を突っ込むような真似はしない。
俺は出来上がったら誰かに見てもらいたい「承認欲」に正直な生き物だ。だから掲載し続けるし、イヤになったり恥ずかしくなったらすぐに消す。なんならトンズラこくことだってある。何故なら急な垢消しでザワザワしているのも一種の快感を覚えられると、今よりもまだあおい時期に味わってしまっているからだ。
ありがたいことに俺の作品を好きだと伝えてくれるフアンがいる。俺だから得られる栄養があると包み隠さず言ってくれるフアンもいる。だから俺はそういう声を大事にしたい、俺なりに応えたいと思って執筆を続けている。
でも時折不安になるのだ。「これ、需要あるか?」と。だから完成しても投稿を挫折する時が多々ある。載せてもすぐに引っ込めることなんて茶飯事だ。フォロワさんたちには「いつものやつ」と伝えているが、どうして消すんですかと悲しんでくれる意見をいただくこともしばしばある。それはありがたいことだが、その時の精神状態によっては、鋭利な刃物になって胸に突き刺さる時もある。贅沢な悩みだなという気持ち、それでも自我は突き通したいという気持ち。そのジレンマに焦げた体が痛すぎて悶え苦しむ時期も度々訪れる。
反応よがりで創作をすることがいけないことだとは思わない。なにせ、こういうことを趣味にしている人なら分かってくれると思うけど、作品を手放しに褒めてもらった時のドーパミンったらありゃしいひん脳汁ドバドバのボー確もええとこ熱狂ライブなのだから。そりゃあトリコになって当然だ。キメキメのキメ野郎もバッキバキでガンギマりの眼をしてしまうも納得の、あの筆舌し難い快感。
我々創作者は「声があるから続けられてる」っていう現実も受け入れなければならない事実なんだろうってことも分かりきってる。
でも人の目を気にしすぎて、書(描)きたいものがかけなくなる。本末転倒だなあと思う。別に仕事でもなんでもないんだし、趣味なんだからもっと肩の力を抜いてかんとしんどいやろメンドクサイというのも分かってる。そもそも好きなんだからやってんだし、それでストレス感じてんだったらやめちまえよと何回も自戒してる。
でもやめらんない。気付いたらTwitter開いてるし、創作をしようとパソコンの前に座ってる。それでも自分のなかでそいつの価値が失墜した瞬間、駄作になって陽の目を浴びることなく死んでいく。日記とか特にそうだと思う。だってコンテンツの私生活とかどこに需要あるんだよってきたねえ心が叫んどるんやもん。
世よ、これが不治たる病なるものぞ。
追記:一体いつになれば「自由な創作欲」と「受け入れられたい承認欲」の天秤の扱いが上手くなるんだろうか。