『対談 植草甚一』を読む
植草甚一さんの対談集を読んだ。植草さんといえば、晶文社のスクラップ・ブック・シリーズが人気で、私も若い頃よく読んだ。これはだけど、そのシリーズの一冊ではなく、いろいろなところで彼がした対談を集めたもの。あまり古本屋でも見たことがなかったので、先日、大阪の四天王寺の古本市で見かけて、即購入。
表紙にあるように、錚々たるメンバーを相手の対談集。長いものもあれば、短いものもある。初出がどこなのかは残念ながら書かれていないが、あらためて、植草さんが、ジャンルを横断しながら、決して「広く浅く」ではなく、「広く深く」、そして楽しく勉強していた人だということがわかって楽しい。
「勉強」と今書いたけれど、植草さんの文章にはこの言葉がよく出てくる。彼の謙虚さをあらわす言葉だが、同時に、「勉強」というのは本来このようにするものだよと教えられている気にもなる。彼の本を読んでいると、ひとつの知識がいくつもの知識を引き寄せ、多岐にわたるネットワークが形成され、その筋を追っていくとまた幾つにも行き先が枝分かれして、という具合に、あたかも「知る」という行為が自律的に増殖し、その宇宙を刻々と変化させていくドラマを見せられているような気持ちになる。知ることの自律性、これこそが彼のいう「勉強」なのだろう。
面白いのは、この対談集に一本、架空のものが入っていること。列挙された名前を見れば一目瞭然だろうが、ルイ・アームストロングとの「対談」だ。ルイが自分で生い立ちを語るところがずいぶんあるが、当然、植草さんがルイの身代わりになって喋っていることになる。彼のサッチモに対する愛が溢れた対談だが、一人称が「あたし」と、思い切り江戸っ子弁になっているのが微笑ましい。
ジャズ批評の世界では当時かなり難解な批評を書いていた鍵谷幸信が、植草さんにゾッコンだったことなんかもわかって面白い。読みながら、映画批評の蓮實重彦が淀長さん(この本の植草さんの対談相手でもある)に対する深い敬意を表明していたことなどを思い出したりした。
植草さんについては、まだまだいろいろ書きたいこともあるから、いずれ、戻ってくることになるだろう。また、晶文社についても。
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