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晶文社のこと

植草甚一さんのことを書いた勢いで、晶文社のことについて少し書いてみる。

上の写真は、私の本棚の晶文社コーナーのほんの一部だ。
もとより、本の並べ方というのは人それぞれで、扱っているテーマによって分けたり、文庫本や新書というような本の種類によって分けたり、千差万別だろう。だけど大抵は、本棚や収納場所の都合を考えざるをえず、複数の分け方を併用することになるのではないだろうか。

私の場合、洋書の割合が多いこともあって、著者のアルファベット順とジャンルによる分類を併用している。まずは、思想関係、美術関係、文学関係などのジャンルによって大雑把に分けて、その中で著者のアルファベット順を使うという方式だ。

だが、そんな中で晶文社の本だけは、唯一「晶文社コーナー」としてまとめている。理由は二つある。ひとつは、晶文社の出す本には、既成のジャンルの境界を超えていく性格のものが多いということ。そしてもうひとつは、にもかかわらず(であるがゆえに?)、晶文社がその出版物で提供してきた世界が、他では見ることのできない独特の「文化」を形成していたように感じられることだ。

晶文社ワールドとでも言いたくなる不思議な世界があって、その魅力に知らず知らずのうちに大きな影響を受けていたという感覚を持つ人は、少なくないのではないだろうか。ことに彼らが清新な風を巻き起こしていた60年代から70年代にかけてその出版物に触れた人たちの中には(私は少し遅れてきた青年だったけれど)。それは、単に知的刺激があったということでは済まない、なんというか、こう言ってよければ、生のスタイルの問題にかかわるような感覚だ。

ひと頃、1980年代文化論が流行り、何冊も本が出て、それはそれで納得する部分も多々あった。たとえば、宮沢章夫の『80年代地下文化論』などは、自分の東京経験と重なる部分も多々あって(岡崎京子とか原宿のピテカンとか六本木WAVEの話とか)、それなりに面白く読み、共鳴もした。その流行の中で、何度も確認されたのは、80年代文化の中心には西武カルチャーがあったということだ。西武百貨店(美術館がその最上階にあった)やパルコやWAVEが中心になって起こした文化の地殻変動が80年代文化の基盤にあったという話だ。ちなみに、無印良品も80年代前半に西武流通グループが創設した「ブランド」だ。

それはそれで間違いではないのだけれど、個人的には、そういう話を聞いた時に、いつもなんとなく落ち着かない気持ちになっていた。そのひとつの理由が、伏流として西武以前から日常世界の変革の可能性を、より厚みと広がりのある形で提示していた「晶文社文化」のことだった。晶文社の、静かに深く、そして息の長い「ささやき」の数々と対比してみると、むしろ、西武文化の目も眩むようなきらびやかさは、その可能性を見えなくさせてしまった煙幕のようにも感じられるほどだ。

もちろん、西武が出版活動の枠には収まらない多角的な活動をしていたのに比べると、晶文社は一出版社に過ぎなかったのでその影響は、限定的だったという見方もできるだろう。だけど、西武カルチャーがバブルの崩壊とともに、それこそ泡沫のように過去の夢として消え去ってしまった今も、晶文社の本たちは、多くの新しい読者を発見し続けていると言うこともまた可能だ。優劣をつけたいのではなく、残念なのは、西武カルチャーが世の中を席巻しすぎたために、晶文社が果たした70年代以降の生活文化の変革に対して果たした役割が見えにくくなってしまったことだ。彼らが播いた種の多くが、収穫に至る前に枯れてしまったように思えることだ。

その晶文社を起こした小野二郎。彼が若くして亡くなったことも大きな打撃だったのかもしれない。小野と、八面六臂の活躍で彼の脇を固めていた長田弘と津野海太郎という二人のとんでもない編集者たち。彼らについては、また稿をあらためて書いてみたいが、最後に、その晶文社文化についての感覚が、私の独りよがりではないことを確認させてくれた出来事が二つあったので、触れておきたい。

ひとつは、2019年に世田谷美術館で開催された展覧会『ある編集者のユートピア 小野二郎、晶文社、高山建築学校』だ。美術館が一編集者の仕事をフィーチャーして展覧会を開くとは画期的なことだったし、ああ、こういう展覧会を企画してくれる学芸員がいるんだと、とても嬉しく思った。展示はさすがに苦しさもあったように見受けられたが、カタログはとても充実した内容で、晶文社文化をその成り立ちも含めて概観するには格好の資料になっている。



二つ目は、さらにそれを遡ること9年。2010年に京都で自費出版的に出されている雑誌『SUMUS』の13号がやはり晶文社特集を組んでいたことに最近気づいたことだ。ここには、晶文社の営業を長く勤められた島田孝久さんの貴重なインタビューが収録され、さらに1973年当時の晶文社の目録がそのまま再録されている。

まだまだ晶文社やその伝説的な編集者たちについて、あるいは出版物についても、書きたいことがたくさんあるが、今日はひとまずここまで。

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