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コーヒーのこと、獅子文六のこと。

コーヒーが好きだ。というか、毎朝、コーヒーがないと1日が始まらない。
そういう人は山ほどいるにちがいない。

だが、どういうコーヒーが好きかとなると、深煎り好きの私は、もはや「時代遅れ」なのかもしれない。というのも、いま、街のそこ此処にできている小ぶりのコーヒースタンドとかショップでは、どうやら「浅煎り」が主役のようなのだ。

それが京都だけのことなのかどうかはちょっとわからないけれど、実際、散歩の途中に立ち寄ってみると、深煎りのコーヒーを出すところが少ない。私の探索の範囲に限ってのことなのかもしれないが、なかなか、ない。
 私が飲みたいのは、コテコテ(いや、ギトギト?)の深煎りなのだけれど、そういうコーヒーを飲めるところが、ほぼ、ない。

だけど、私には、豆を買ってきて自分で「煎る」というほどの気概はない。
 いきおい、市販されている豆を買ってきて自分で入れることになるのだけれど、その時には、当然、それぞれのお店でもっとも深煎りの豆を買う。

その時には、フレンチ・トーストを選ぶことが多い。だが、どうやら、この「フレンチ・トースト」というのも、それぞれの解釈があるようで、たとえば、店によっては、私の求める深さがない場合もある。だから、いくつかの限られた店で買うことになる。

それにしても、この今の浅煎りブームはどういうことなのか。
 私は酸味が苦手なために避けるのだけれど、その酸味のバリエーションを楽しむ人が増えてきたのか。「フルーティ」などという、私などにとってはいささか気恥ずかしい表現を見かけることが多くなったのも、たぶんそういうことなのだろう。

そんなことをぼんやりと考えていたら、獅子文六の『コーヒーと恋愛』を思い出した(『可否道』として新聞連載され、その後改題されて出版)。

グラシン紙で包んだままだが、今ちくま文庫で入手できる『コーヒーと恋愛』

 どういうきっかけだったのか、もはや覚えていないが、高校の時、たまたま手にとって、読んだ。その頃、というのは70年代後半のことだが、私は、ご多分にもれず、なにかというと、ドストエフスキーとかカミュとかランボーなどの名を持ち出す「いきった」小僧だったので、獅子文六など、ほとんど視界に入っていなかったはずなのに、どういうわけか、読んだ。
 理由は思い出せないけれど、その頃は、角川文庫のコーナーに多く彼の本が並んでいて、本屋に行けば必ず目にしていたことだけはたしかだ。

読んでみたらすばらしかった、と言うのでもない。でも、読後の落ち着かなさはずっと記憶に残った。こんな微温的で小市民的なものなんか、と反発する心がある一方で、なんの変哲があるわけでもないのに軽妙でひろびろとした感覚をもたらす文章に惹かれる自分もいて、混乱したのだった。
 そのおさまりの悪い感覚は残りつづけ、やがて獅子文六の本は、ほとんど絶版になって、本屋から消えていった。

 不思議なのは、その獅子文六の書いたものが、ある時期から「ちくま文庫」で大量に復活したことだ。ちくま文庫は、兄弟分の「ちくま学芸文庫」がお硬い学問路線を一手に引き受けてくれているおかげで、いろんな分野のあいだのニッチな空間を開拓してきたという印象はあるにはあるのだけれど、それにしても獅子文六の復活にはちょっと驚いた。今も、ちくまのウェブ・ページでは、「"忘れられた昭和の人気作家" 獅子文六の時代がやってきた」と、大々的な力の入れようだ。
 いったい、どういう経緯があってそうなったのか、一読者としては興味が尽きない。なにか一編集者の個人的な奮闘がその背景にはあったのではないか、そしてそれは、なかなかに大変な奮闘だったのではないか、と勝手な想像をして楽しんでいる。

ところで、この小説の主人公「モエ子」は、コーヒー淹れの天才という設定。難しい勉強をしなくても、自然体でこの上なく美味しいコーヒーを淹れてしまう。
 その彼女がコーヒーを介して、恋の鞘当て、駆け引きのドラマに引き込まれ、世のうるさ型のコーヒー通のオジサンたちともなんだかコミカルな関係を発展させていくという他愛もない話なのだが、その詳しい内容はおくとして、思わず笑ってしまうのは、獅子文六がこの本を出した後に読売新聞に寄稿した談話だ(ちくま版の巻末に収録されている)。
 なんでも、彼はもともとコーヒー好きで、毎日飲んでいたらしいが、この本を書くために様々な豆や淹れ方を試すようになり、おもしろくなり、「濃いやつをいれて」、家の内外問わず、しょっちゅう飲むようになったらしい。その結果、「胃のぐあいがおかしく」なってきて、「正月にはいって毎朝重い気分で『可否道』の原稿を書くのがつらくなってきた」という。あげくの果てに、「小説の後半4分の1は、ほんとに、苦闘だった。病苦とたたかい、一回分を書くと、グッタリしてしまった。こんな苦労して書いた小説は、はじめてだった」というところまで行ってしまったらしい。

なにごとも行き過ぎはダメという、当たり前のことなのだが、そんな苦闘の痕跡は、仕上がった小説からは微塵も感じられない。プロ、ということなのだろう。
 1920年代のパリで演劇を学んだ獅子は、エリート中のエリートだったわけだが、『コーヒーと恋愛』だけではなく、彼の書くものには、いつも「インテリ」や「前衛」や「通」に対する冷めた目が息づいている。たとえば、モエ子の天才は、該博な知識と経験を持って「通」を自認する老人たちの滑稽を明るみに出してしまうし、年下の恋人である勉くんが前衛演劇に関わっていることも、モエ子の献身にもかかわらず、読者には、だんだんと薄っぺらな虚栄のように見えてくる。

そのエリート的なるものへの絶妙な距離感と屈折した態度には、おそらく戦時中の経験がかかわっているにちがいないと、勝手に想像をたくましくしているが、果たしてどうなのか。鶴見俊輔が繰り返し指摘していた日本のインテリたちの「一番病」の問題ともどこかでつながるような感覚もあり、もっと読んで、あらためて考えてみたくなった。



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