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受付からみえる景色・舞台からみていた景色(はじめに)

気づけば、もう3月の中旬。凍える寒さを乗り越えたと思ったら、鼻の機能を停止させる花粉、それにより口呼吸でのどを痛める負の連鎖。「ようこそ、春!」とは迎えにくい季節がやってきました。外の温かさからか、舞台や催事などは、公演そのものが増えたり、活気がつきます。

実は、ライターや舞台制作以外にも、新たに劇場管理のお仕事も始めました。定員150名程度、お芝居だけでなく、コンサート、講演会、はたまた保育園のお遊戯会までも行う、いわば多目的施設の管理です。なので、ここ最近の忙しさと言ったら、想像を越えています。

前述した通り、舞台制作のときは、劇場管理の方(業界的には“小屋付き”と呼ばれる方)と連絡を取って、舞台の相談・打ち合わせを行います。ただ、劇場管理側の立場に立つと、舞台や催事がより面白いと感じざる得ないほど楽しい発見があります。そして、それと同時に、利用者(主催やスタッフ)の言動でやるせなくなる時もあります。

舞台を例にすると、多数のスタッフや役者が集い、一つの作品を創り上げます。立場も経歴も所属も違います。唯一、絶対不可欠な共通認識は「この作品(舞台)を良い作品にさせること」だと思います。

よく、お客様も巻き込んで、いい舞台を作りたいという言葉を耳にします。一致団結、協力的な要素の強い舞台にとっては何よりも強い味方だと思うんです。でも、その味方はスタッフ・役者・お客さんだけではないと感じるのです。

自分自身が劇場管理をしている・していないは置いといて、劇場側(もしくはホール、ライブハウスといった場所を提供している側)も「この作品(舞台)を良い作品にさせること」を考える一員です。(自画自賛や自分を棚に上げているわけではないので…大目に見てください。)少なからずは、僕自身は中立の立場ではなく、一緒に創り上げる仲間だと思っています。

劇場管理はとっても誤解されやすい立場です。どう誤解されるのか。僕が思うのは、極端に言えば「どの作品をやろうが、どの団体がやろうが、使用料を払わせ、正しく使ってもらうように管理すればいい」と思われているのではないかということです。だから、ルールを守ってもらうために、口うるさいと。

もちろん、お金は払ってもらいます。モノや建物も壊されたくありません。こちらのルールに則って使ってもらわないと困ります。(例えば、友人を自分の家に招いた時に、勝手に物を壊されたり、勝手に何かを飲み食いされたりしたら怒りますよね?それと同じ感覚です。)

だからといって、それだけを考えているかと言えば断じて違います。使っていただく利用者が気持ちよく劇場を使って、なおかつ、その舞台の評判が良ければ、また使っていただける。もしくは、この劇場の良さを広めてくれる。この劇場を良くするためには、一緒に舞台を良くしてあげたい。

そんな発想をすると思うんです。というよりかは、それに近いことを考えていかないと劇場も廃れていくと思うんです。

でも、その「良くしたい!」という気持ちを表だって言うこともありませんし、表(この場合はお客さんや主催、スタッフ)には見えづらいというのもあり、なおかつ誤解されやすいのです。かといって、むやみやたらに「舞台を良くしたいので、劇場費や付帯設備費を値下げします!」とは言えないのです。ビジネスとして、この劇場や場所でご飯を食べている人がいるのですから。スタッフの方々と一緒で、技術・内容・道具に見合ったギャラ以下には値下げできないけど、思いやりがあり、プロとしての行動で示すといった人間的行動は劇場にもあるのです。

僕はそのうえで、短い間でしか管理の仕事をしていませんが、少しずつこの場で、劇場側(受付)からみえる景色を書き留められればなと思っております。きっと、僕がこの立場で見える景色がなぜ面白いのかが、ほんの少しは分かってくれるかもしれませんし、やっぱり僕も利用していただく方々と一緒に創り上げたいのです。

ひとつ言うと、劇場を劇場として利用するのではなく、人間として接すると、きっともっと舞台はうまくいくと考えております。現に、レベルが高かったり、しっかりとしているなと思う作品や劇団は劇場管理である僕らを思いっきり巻き込んでいます。それがいいのです。

だから、(こんな偏った考え方の人はいないと望みますが)スタッフさんも役者さんも劇場や管理の人を他排的に考えないで、もっと巻き込めるような土壌が出来上がったら、もっといい世界になるのでは・・・そんな気がしてならないのです。

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