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家族、ってなんだろう。

このドラマを見た。

家族、ってなんだろう、って考えた。

お父さんがいて、お母さんがいて、子どもがいる。それが、いわゆる「普通」の家族。そんな普通の家族の中で、ある日突然お父さんが「女性」になる。女性になったお父さんが、今までのように我が子のお弁当作りをして、習い事の送り迎えをして、仕事をして家計を支える。服装が変わり、言葉遣いが変わり、お化粧をするようになっても、やること、家庭での役割が変わらないとしても、間違いなく「普通の家族」ではなくなる。でも、それってなんでなんだろうか。

私のうちも、お父さんがいて、お母さんがいて、私がいて、弟がいる、いわゆる「普通の家族」だった。私が5歳になるまでは。

5歳の時、母が突然いなくなった。その日からうちは「普通じゃない」家族になった。昭和50年代。父子家庭なんて、珍しい時代だった。

それから6年後。普通じゃない家族の我が家に、新しいお母さんがやって来て、我が家はやっぱり「普通じゃない家族」になった。血の繋がらないお母さんがいる子なんて、周りにはいなかった。

新しい母ができた、とクラスで話したら「ねえねえ、継母って、つねったりするの?」とみんなから聞かれた。おそらく、シンデレラとか、白雪姫とか、そういうイメージだったんだろう。そんなイメージとは違い、私は別につねられたりなんてしなかった。母は、機嫌のいい時もあれば、機嫌が悪い時もあった。「機嫌がいい時もあるし、機嫌が悪い時もある」というと、『なんだ、うちのお母さんと一緒じゃん』と普通の家族の友達から言われた。

大人になった私は、教師になって、色々な家族を見ることになった。そしてわかったことは、どの家族が普通の家族か、と言われても私には答えられないということだった。一つとして、同じ家族はないからだ。

「両親がいて子どもがいる」という基準で見れば、多くの家族はそれに当てはまる。だけど、一人っ子のうちもあれば、5人兄弟のうちもあった。祖父母、曾祖父母も一緒に住んでいる家族もいれば、母子家庭、父子家庭の家族もあった。

誰がどう考えてもこの家族が「普通」の家族ですと言える家族なんて、私にはわからない。血が繋がっていれば普通なのか、と言われても、それだってわからない。血の繋がった両親に虐待を受けて、施設に入った子がいたり、養子縁組をして、家族全員が血の繋がりのない家族が、運動会や音楽会などで、とても幸せそうに親子で手を振りあっている姿を見たりもした。

家族、ってなんだろう。普通ってなんだろう。幸せってなんだろう。


ドラマの中で、主人公が認知症のお母さんから「嘘はイカンよ」と言われるのだけれど、正直であることが誰かを傷つけることになるとして、果たして自分はどれだけ正直でいられるだろうか、と思う。言ったら傷つくのではないか、というのも、自分の勝手な判断で、傷つくかどうかは、言ってみなければ分からないんだけれど。

・・・いや、相手が傷つくかどうかってのは、相手が傷ついたことにより、自分が否定されたり、傷つく姿を見て自分が傷つくのがいやだ、ってことだ、と今気づいた。


私の母(義理の)は、父が心筋梗塞で突然なくなって3年後、治療した乳癌が全身に転移して他界したのだけれど、お医者さんから母の余命を宣告された時、私は母にそれを伝えることができなかった。子どもの頃から母に「嘘をついてもすぐわかる、嘘はついたらいけないよ」と言われていた。だけど、あの時は。あの時だけは、「絶対にバレないように嘘をつく」と決心した。

私のどんな嘘だって見破って来た母にバレないように、必死で笑顔を作って「ちゃんと治療したらうちに帰れるから!」と嘘をつき続けた。

家に帰れると思っているのに、あとわずかの余命だなんて知ったら、母がショックを受けるに違いない、母が苦しむに違いない、と思っていたのだけれど、そうじゃなかった。ショックを受ける母を見るのが辛かったのは、私だ。

母は、もしかしたら伝えて欲しかったかもしれない。ショックは受けたかもしれないけれど、残された時間を知ったら、自分の過ごしたいように過ごせたんじゃないか。私は私のために、母に嘘をついたということになる。

家族ってなんだろう。幸せってなんだろう。優しさってなんだろう。


どんな家族だって、大きい小さいの差はあれど、何かしらの隠し事があって、全て一つ残らず正直に伝えているわけじゃないと思う。全てを伝えるのがいいことだとも思えない。伝えなくてもいいこともある。

だけど、隠すことが苦しいのであれば、隠し続けることに限界がくる。そのひずみがどこかで出て、結果として家族が壊れてしまうんじゃないか。


家族ってなんだろう。嘘って、本当って、なんだろう。答えはまだ出ていない。

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