見出し画像

見えなかったことが見えるようになること

新型コロナ対策として、日本中の小中高一斉休校要請が出された。自治体ごとに違うけれど、多くの学校が一斉に休みに入り、行き場がない子どもたちをどうしたらいいのか!と世の中が大騒ぎになっている。

一ヶ月間無料でオンライン学習ができるようになったり、食事を配達してくれたりと、民間企業が動き出した。迅速な対応に、拍手喝采。これで学校に行けなくても勉強させることができる。給食がなくても、一食あたり同じくらいの値段で食事を用意できる。ありがたい。確かに対応早かったなー!と思う。

一方で私の中になんとももやっと残っているものがあって。それは、今まで「不登校」の子たちって、同じように学校に行けなくて困っていたんだよなあ・・・ってこと。

『いや、今回は行きたくても行けない状態に無理やりさせられたんだから、事情が違う!不登校の子は自分で不登校を「選択」したんだから自己責任でしょ!』ということなのかもしれない・・・そうなのか?「不登校がいい」って喜んで不登校になっている子なんてほとんどいない、と思うのだけど。(中にはいるだろうけども)

「学校に行くのが当たり前、勉強は学校でするものだ!」という常識のもとでは、学校に行かない(行けない)不登校の子たちは、少数派で、特別な存在だった。サポートがゼロだった訳ではないかもしれないけど、今回のような手厚い、しかも迅速なサポートなんてなかったはずで、それは家庭でなんとかしてください、というレベルだった。実際に何度も学校や教育委員会と、学校に行けない我が子のサポートをお願いするやりとりをしていた親御さんがいるのも、知っている。

実際自分の子どもが「学校に行けない状態」にならなければ、どれだけサポートが必要か、なんて考える必要もない「他人事」だった。それが今回、多くの人たちの「自分ごと」に変わった。その瞬間、今まで目に入っても気づかなかったことが、目に映るようになった。


これこそ自分には関係ない世界の話だった「マイノリティ」の存在が、自分ごとになった瞬間だ。


気になるのは、今回の様々なオンライン授業サポートが「学校が再開するまでの一ヶ月だけの無料サポート」で終わってしまうのだろうか、ってこと。それとも、学校が再開した後も、学校に行くのが難しい子たちのために「オンライン授業」が可能だよ、という形になるのだろうか。

少なくとも今回の件でわかったのは、「オンラインで授業を受ける」というシステムが実現可能だったってことだ。そして、子ども達の中には気づいてしまった子がいるはずだ。「あれ?学校行かなくても好きなように勉強できるじゃん!」って。

休校措置があけたとき、それに気づいてしまった子たちがどうやって学校に通う価値を見出すか。国や学校は、学校に来ないという選択をした子たちをどうやってサポートするのか。

今回のことが結果として「よかったね」になるためには、そこを考えないといけないよな、と思うのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?