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第78話:ある船乗りの夢

パチンコにたまに出掛ける。

しかし勝つことは稀で、大概は負けて帰る。今のパチンコはそれこそ万単位の金の動きをする台ばかりなので、貧乏な僕には危険。
だが、暇があって、しかもその暇ゆえに生ずる諸々の何かを忘却したいときには、パチンコは良い。誰にも気を使わずに金を払って集団の中の孤独を楽しみたい時もある。

清水に住んでいた時分のことだった。

その日も例によって持ち金を使い果たして帰ろうとすると、突然ある男に後ろから呼び止められた。その男は大柄で、随分ラフな恰好をしてはいたが、ガサツな感じはなく、顔立ちはむしろ幼げな人懐っこさを残していた。まだ若い。

振り返った僕に、その男は「お茶を飲みに行かないか」と誘った。

無論、僕は女の子に「お茶」に誘われたこともなかったが、初対面の見ず知らずの男から「お茶」に誘われたこともなかった。しかもパチンコ屋の中でである。
何故その男が僕を誘ったのか分からない。普通は女の子を誘うのではないかと思ったが、しかしとにかくパチンコ屋の中で大男に「お茶」の相手として選ばれてしまったのである。

一瞬、これは危険だと思いはしたが、悪い人ではなさそうだったので、何となくなりゆきにまかせてついて行くことにした。
「ただ金はない」と言うと、「俺がおごる」と男が言ったので、ラッキーと思ったことには思った。

何をどう話したかは定かに覚えてはいない。

僕らは、とある小さな喫茶店に入って、小一時間位、話をした。向こうも自分から誘った割には愛想良く話し掛けて来るわけではなかったし、僕も人と話をするのは得意な方ではなかったから、話が弾んで楽んだなどということもなかった。

楽しくもなかったが気まずくもなく、何となく不思議な雰囲気だった。
男はコカコーラをた飲み、飲み干してはすぐにまた注文して、その小一時間の間に5杯ほども飲んだ。

それでも話をしているうちに、男が船員であることが分かった。

そう言われてみれば、腕の太さといい、指のゴツく硬い感じといい、その大柄な体格といい、確かに海の男のそれのようではある。ひょっとしたら僕を誘ったのも長い航海の後で人恋しかったからかもしれない。

危険な目にも遭ったのか?と聞くと、「何回かは本当に死ぬんじゃないかと思ったことがあった。特に夜の嵐が怖い」と言う。
これからもずっと船乗りを続けるのか?と聞くと、男は「何年かは船に乗ってとにかく金をためようと思っている。金をためて将来は店を開きたいんだ」と言った。

それで何の店を開くのかと尋ねると、男は「ベビー用品の店」とあっさり答えた。大男とベビー用品の対比が妙におかしくて、思わず「ベビー用品?」と聞き返したのを覚えている。
「変か?」と聞かれたから、多少変だとは思ったが「別に変ではない」と答えた。

男は「俺の夢だ」とはっきり言った。

その男とはもとより喫茶店で別れて以来一度も会っていない。恐らくもう二度と会うこともないだろうと思う。もうあれから長い歳月が経つが、夢はかなえられただろうかと、これを書きながら思ったりしている。

でも、その男のことが妙に忘れられない。大男とベビー用品の店という夢がミスマッチだったからかもしれないが、これが自分の夢だとはっきり言い切る人に久し振りに出会ったからだと思う。

僕は夢とはもっと何か難しいようなもののような気がしていた。
では何なのかと聞かれても漠然として答えられない。だから余計に男の明快さが印象に残ったのかもしれない。
男の返事には、子供が夢は何かと聞かれてパイロットとか、お嫁さんと言ったりする時のようなあっけらかんとした響きがあった。


「夢」は「幻影」であるのかもしれない。

漢和辞典には、「暗い・よく見えない」という基本の意味が「眠っている時に見るもの」に変化したとある。日本国語大辞典でみると、その意味のほかに、非現実的な空想・はかないさま・心の迷いという項目の並んだ5番目に「将来への希望」がやっと出てくる。木下杢太郎の用例が引かれているので(この辞典の初出主義を信じるとすれば)「幻影」という意味に「希望」という意味が加わり始めるのは明治以降ということになるかもしれない。

でも、「幻影」だからこそ「夢」は描けるのだとも言える。
現実には難しくても。

アニメに人が求めるのもそういうものなのかもしれない。「死ぬまでにできる100のことノート」の発想もそうかもしれない。人が現実を耐える(超える)ために支えとして抱く灯りのようなものであるのだろう。

もはや老境にある僕には「夢?」と聞かれて答えられるようなものはない。
生徒はヨボヨボ歩いている僕の背中をド突いて、失礼にも「よう生きてるか」と言ったりする。家に帰って布団にゴロゴロしていると、失礼にも、カミさんは「干物みたい」と言ったりする。

「夢」を見失った時は、強引に「楽しい夢」を想像するといいそうである。とある心理学者は、それは「全くの妄想」で構わないと言う。つらい時、何かが見えなくなった時に大切なのは「荒唐無稽なことを妄想できる力」だと。

だから、僕が堀北真希とデートできる「夢」を抱き続けても構わないのである。

(土竜のひとりごと:第78話)

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