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どっちでもいい・考

コスモスにコスモス揺らす風が吹き どうだっていいことが たくさん

世の中は、どうでもいいことに満ち溢れている、と言ったら叱られるだろうか。
ちなみに次の空欄を漢字で埋めてみたい。
( )肉( )食
就職職試験で、ある女子大生が焼肉定食と答えたという有名な笑い話がある。しかし、あなたもひょっとしたら一瞬、焼肉定食という答を思い浮かべ、今ちょっと恥ずかしさにこっそりと顔を赤らめたりしたかもしれない。

ただ、これが完璧な誤答かと言えば、明確な設問の条件がないかぎり、弱肉強食と答えなければならない理由はない。

それではこれはどうであろうか。小学校の算数の問題。
二本の直線が(  )に交わるとき、二本の直線は(  )である。

正解は、二本の直線が(直角)に交わるとき、二本の直線は(垂直)である
だが、この問題に対する答に、
二本の直線が(静か)に交わるとき、二本の直線は(もはや一本)である
という答えがあったと聞く。なかなか文学的で思わず感動してみたくなったりしてしまうではないか。

だから・・、とんだ飛躍と思われるかもしれないが、世の中にはどっちでもいいことが確かにあると言わなければならない。

全く便乗しているように聞こえるかもしれないが、だから、カミさんの「あなたは何を聞いても、いつも『どっちでもいい』としか言わない」という僕に対する非難は、必ずしも僕が人格的に劣っていることを意味してはいない。
今日のお昼ご飯は、僕はご飯でも蕎麦でもどっちでもよく、セーターの色は青であっても赤であってもどっちでもいいのである。彼女が大事だと思っていることの大半が、実は僕にとってはどっちでもいいことであることが、カミさんのストレスの大きな原因であると言えそうである。今、ひょっとしたら完全に世の中の女性を敵に回した感じかもしれない・・が。

でも、何だか自分がよくわからなくなった時には、そうやって一回、すべてをチャラにした方がいいかもしれない、と思う時がある。

高校生の悩みに付き合っていると、そう思う。そこそこ生きてしまい、棺桶に片足を突っ込んでしまっている歳になってみると、どうでもいいんじゃないと思う悩みがたくさんある。顔立ちやスタイル。親の期待。学歴。部活の試合に負けることは価値ある勉強だし、大学に落ちたところで、それが人生のゴールではない。

いや、高校生だけではない。歳を取ったからと言ってすべてがフラットになるわけでもない。出てしまったお腹。しわやシミ。衰え行く体と頭。お金。他人の評価も。そう、他人の評価から逃れることは、この年になっても難しい

でも、実は「たいしたこと」ではない
そう、とりあえず言ってしまってみることは、大事な生きる技術かもしれない

仮に「人生にはどうでもいいことしかない」、この考え方を押し進めていくと、堕落した人間が大量に生産され、みんながゴロゴロと昼間から寝て暮らしている杜会が実現されてしまうという危惧もある。

が、たぶん、それで崩壊してしまうような脆い人間は、自分について悩んだりはしない。

だから、意味や価値に囚われて自分を見失いそうになった時には、空を見上げ、たいしたことじゃないさなんとかなるさと涼しくつぶやいてみたい。世の中にあることは大概どうでもいいことしかないと仮に疑ってみると、一度、世界をフラットにできるかもしれない。

生きることの意味に疲れた時は、命を与えられ生きていること自体に意味があるという生物学的な原点に帰った方がいい。

そうすると、もしかすると、どうでもよくないものが見えてくるかもしれない。
ついでに言えば、どうでもいいことと、大切なことは人によって違うということも分かるかもしれない。
その接点を探すことが、社会で生きるということかもしれない。
そうすればカミさんの言うことに、ひょっとしたら耳を傾けられるかもしれない・・。

とろーりと溶けてしまえば何事も考えることなくてすむピッツァのチーズ

考えないことも必要だ。いや、中島敦の『名人伝』のように、究極の奥義はそれを一切を忘却?していまうことかもしれない。


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