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好き嫌いは個性か?

小さい時分、僕は食べ物の好き嫌いが激しく、肉や魚はほとんど食べなかった。特に肉はダメで、自慢ではないが、高校を卒業するまで積極的に食べた記憶がない。大学に入ると自炊では焼肉が一番手軽なのでそれなりに食べるようにはなったが、今でも血のしたたるステーキなどという代物は「うまい」と思って食べたことが、ただの一度もない。

では何を食べていたのかと言えば、芋・蒟蒻の煮物とか大根の切り干し、大根・人参・ゴボウの入ったケンチン汁のようなもの、胡瓜・白菜の漬物、大豆、ひじき、ポテトサラダとか、穀物の類いが中心で、動物タンパクは卵と牛乳くらいであったろう。キンピラゴボウとかレンコンとか竹の子とか、そんなものを好んで食べた。

農家だったからそんな類いのものが中心になるのは当然だったし、オフクロも朝は4時5時から、夜は僕らが寝た後まで働き詰めていたので、そんなに凝ったオカズができようもなかった。それでも勿論、肉や魚は食卓にのぼった訳で、そういう時にはそれを避けたり、オカズの中に混じっていれば箸でつまみ出しては避けて食べていた。

したがって明らかに好き嫌いは僕のわがままでしかないのだが、強いて釈明を試みると、例えばマグロの刺身などにしても昔はスジが多くてなかなか噛み切れないものだったし、給食で出て来る肉も油身の塊ばかりだった。口の中でクチャクチャ噛んでいると思わず吐き気をもよおし、目をつぶって噛まずに飲み込むというのが、どうしても食べざるを得ない状況に陥ったときの最後の手段だったのである。

僕が魚を「おいしい」と思うようになったのは就職して同僚と旅行や食事をするようになってからのことで、あんなふうに、口の中でトロッと溶けたり、シコシコとする快い歯触りであったりするものを食べていたら、あるいは僕の好き嫌いももう少し穏やかなものではなかったかと思う。高校生が焼き肉に夢中になるのは、明らかにそれが「おいしい」からなのだろう。

それはともかく、こういう好き嫌いのある者に世間の風当たりは冷たく、親には怒られ、学校では先生に叱られた。それは「作ってくれた人への感謝」だと。

どうしても食べられないときは親や先生の目を盗んで、椅子の下の猫にやったり、給食はプリントに包み込んでその場をしのいだりもしたが、そういうごまかしがきかず、徹底的に残されて食べさせられたことも幾度かあった。よく覚えているのは幼稚園の時、卵焼きが出て来たと思って喜んだらそれがオムレツで、今にして思えば挽き肉もダメだったのかと不思議に思うが、これを食べられず延々と残された。小学校の時には「お楽しみ給食」というのがあって、鷄のモモ肉がドカンと丸ごと出たことがあり、これまた延々と残された。

当然のように食べるまで許されないのであって、みんなが遊びに行ったり帰ったりして誰もいなくなった教室で、もう椅子も机の上にあげられてしまって、その椅子が林のように立ち並んでいる中に埋もれながら、一人でオムレツとか鷄のモモとかと向かい合っていた。

お暇な方は是非お付き合いいただいて御一緒に思い浮かべていただきたいのだが、椅子の脚の間でベソをかきながら、いつまでも減らないオカズと向き合っている5歳や7歳の小さな後ろ姿は、いかにも哀れではないか。無論、何でもバリバリと食べられた人には無縁、無感慨な甘ったれの世界ではあろうが。

さて、かような僕も年を経て、シイタケ以外は好悪の別はあるとしても、一応、何でも食べるようにはなった。シイタケが食えんのかと笑われそうだが、同様に年を経て価値観も変化し、最近ではこうした子供の好き嫌いを「それも個性」ととらえる向きもあるらしい。無理に食べさせても栄養にならないという見方もあるようだ。

いかにも今風の解釈だが、してみると今の幼稚園や小学校では食べるまで残す指導などしないのだろう。そんな価値観が存在していればあんなに辛い思いをしなくて済んだのにと思いながらも、僕は今も炊き込みご飯や茶わん蒸しの中のシイタケを掘り出しては(あのスリルと哀感を思い出しながら)こっそりとカミさんの茶碗に移しかえてやるのだが、その一瞬一瞬に今の子供達があの哀感を味わうことがないのを、他人事のように僕は少々寂しく思ってみたりもする。

現代という時代が個性、あるいは多様性という名のもとにどれだけのワガママを許容して行くのだろうかと、そんなことを、自分のことはまずさしおいて、いたく勝手に思ってみたりする次第なのである。

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