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第27話:僕と車の歩み

最初にお詫び申し上げますが、これは長く、また私事でしかありません。


皆さんにはおよそ興味のない話であるが、僕と車の歩みを勝手に振り返ってみると、乗っていた順に次のようになる。

①ミツビシのミラージュ
②ダイハツのミラ
③ホンダのtoday(白)
④ホンダのtoday(青)
⑤スズキのワゴンRのシルバー
⑥現在=トヨタのアクア

約40年間で、6台の車にお世話になった。

考えてみれば、すべて中古車で新車に乗ったことはない。2台目までは貰い物で、最初のミラージュは兄貴のお古、次のミラは自転車でひどい坂道を通勤する僕を見かねたマリア様のような女性の同僚からいただいた。

このミラは、いわゆる昔の軽自動車だった。

例えば女生徒を乗せて走り出したところ、彼女はシートベルトをしようとして突然笑い出し、こういうの初めて見たというようなことを言ったのだが、彼女は引っ張ると伸び、離すとスーッと引っ込んでゆくそれを連想していたようで、ヒモがダランと下がっていて先に金具がついているだけのシートベルトが甚だ珍しかったらしい。
それは実は彼女のイメージの貧困に責任があるのだが、いつまでも笑い止まない。甚だ失礼と言わなければならない。

更にカミさんは「教習所でワイパーは3段階に動くって教わったけど、この車は2段階なのね」などとあっさり言ってのけてくれもした。

カミさんとはこの車でスキーにも出かけたのだが、暖房はついていたが、エアコンがついていなかったので、フロントガラスがすぐに曇って前が見えなくなってしまう。仕方なく寒いのに窓を開け、それでも追いつかないのをタオルで始終拭きながら走らねばならなかった。


でも、最初に乗ったミラージュもオンボロだった。

これも兄貴から貰ったので文句は言えないが、兄貴が4年間、旅行とか学会だとか日本全国を走らせ、走行距離は既に相当な域に達していた。おまけには海の近くに住んでいたので、見えないところでの金属疲労もかなり進んでいた。

それで乗り始めてしばらく経つと、まずマフラーに穴があき、バカデカイ排気音がするようになった。バカバーンとまるで暴走族のような音をたて、トンネルに入ろうものなら聴力を奪うごとき音が車内に響いた。

こんなことで警察のお世話になるのもシャクなのでマフラーを取り替えると、今度は窓が落ちた

何の気なしにドアをドンと閉めると窓がドアの内にストンと落ちてしまったのである。不思議なこともあるものだと窓のハンドルを回してみたが、窓は全く姿を見せない。そこでドアの内側をこじ開けてみると、驚いたことに窓を支えているはずの金属が腐食していてほとんど原形をとどめていない。

仕方がないので窓を取り出して下から窓枠にきつく嵌め込み何とか体裁を繕っていたが、そういう事情を知らない人を乗せる時が大変で、彼らは何も考えずにドアを平気でバンと勢いよく閉めてしまう。
「あっ」と僕は思うのだが、その瞬間にもう窓は落ちてしまっているのである。

当の僕でさえたまにそれを忘れることがあって、雨の日の東名のサービスエリアでそれをやってしまい、東京まで右半身ずぶ濡れになって行ったこともあった。

諸々の異常は起こったが、それでも買って5年目の車、体裁は良かった。洗ってワックスでもかければ新車のようにピカピカし、冷房もカーステレオもそれなりのものが付いていた。

しかし、やがてこの車は発進のときにカクカクとノッキングして上下に踊るようになり、そのうちカックンカックンと止まって進まなくなってしまった。

何回か修理に出し、やきもきした揚げ句、廃車にせざるを得なかった。
そして自転車で通勤するようになり、それを見かねたマリア様が譲ってくれたダイハツのミラにたどり着くことになる。


そのミラに乗った20代後半から50代後半に至る約30年間は軽自動車に乗っていたことになる。ワゴンRでは3年半、東名通勤もした。みんな、ほとんど動かなくなるまで乗った。


30年の時を経てやっと乗れることになった普通車アクアは、それを思うと隔世の感にとらわれるほど高性能だった。リッター25から30キロ走り、テレビも付いている。スマホとBluetoothでつながっているので運転中でも電話できるし、スマホを忘れて車に乗ると「スマホを忘れていませんか」と教えてくれる。ナビもついている。心地よさに感動しているこの頃なのである。


思い返せば、子どものころ父親の乗っている車は冬になるとよくバッテリーが上がり、兄弟三人で500mくらい離れたところにある坂道まで押していき、その坂を利用して押し掛けしたりした。
昔はエアコンは高級車しかついていなかったので、暑い夏には窓を全開にして走った。家族で出かけた時に、対向車の窓が閉まっていたりすると「おー、金持ちの車が来た」と羨ましがったりもした。

そんなことを思うと、何だかミラやミラージュのオンボロが懐かしかったりもして、こんな雑記を書いてみたのである。

最近、ドラマを録画して観ることが多くなったが、録画でないドラマを観ていて、CMになるとそれをスキップしようとして録画ではないことに苛立ちを感じたりしている自分に苛立ったりしている自分を発見した。

満ち足りると往々にして、人はそれが当たり前のことになってしまうものだという取り留めのない話である。

(土竜のひとりごと:第27話)

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