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卒業

「まおまおー」

H君の当番日誌はいつもたったひと言

5目7日 「だあー」
6目20日 「みゃー」
10月8日 「だおー」
11月25日 「まおまおー」
1月30日 「にゃむー」

恐ろしいほどの意味不明
まったく途方もない「無意味」である


しかし僕は
毎回これらの意味不明に付き合いながら
いつしか次をひそかに期待している自分に
気が付いたりもした
そして、「まおまおー」を見るにいたって
稲妻に打たれたように感動し
それから深く考えた

「無意味」は絶対に「無意味」か?
人生が仮に「無意味」でないとしても
人生に「無意味」が確かにある、と


例えば 恋をする「無意味」
また例えば
一本道をまっすぐ行かず
寄り道をしたりまわり道をしたりする
かけがいのない「無意味」


恐らく
みんな たくさんの荷物を背負って
たくさん傷つきながら
たくさんのまわり道を歩いてきた
でも、その分たくさんの風景を知っている
その優しい「無意味」・・・


ちょっと立ち止まって
焚き火にあたっているような
豊かな「無意味」・・・
もしかしたらそれは
限りなく、人、そのものの姿なのかもしれない


そして僕は ふと思いついて
M78星雲の辞書を取り出してみた
予期したとおり
そこに「まおまおー」は載っていた
ウルトラマン語で
「俺は俺だ!」という叫び
を意味していると書いてある


だったら時々
空に向かって思い切り
「まおまおー」と叫んでみるのもいい
人からは多少変に見られるかもしれないが
責任はH君にあって担任にはない


「意味」に振りまわされて
何かを見失いそうになったとき
また焚き火にあたりにおいで・・

やさしい、いい人生を。

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