鬱の歌
■ Ⅰ
とりとめもなくなつかしい手触りのたとへば耳たぶのやうだ 鬱は
君のおなかに顔を埋めているやうな やはらかきやはらかき 鬱
やわらかい取り留めもないものとして「鬱」を詠んでみました。
「耳たぶ」「おなか」。
人肌の温みとともに、どこか懐かしい閉塞感。
ネットの検索ですが、「鬱」の解字は次のように書かれていました。
そこに隠れ込んで埋もれてしまいたいような「隠れ家」かもしれません。
■ Ⅱ
驟雨いま晩夏の街を白く打ち すばやく耳ゆ すべり入る鬱
広重の雨 その明確な直線の 鋭く鬱は さし迫りにき
この二首は、激しい「鬱」を詠んでみました。
一首目は、夏の終わりに 突然の驟雨がアスファルトを叩きつけている。
忽然と胸に走った緊張と、押しつぶされるような圧迫感。
なぜ不安なのだろう。
わかるわけもないのに、どうしても、そう問うてしまう。
二首目も同じ趣。歌川広重のイメージを借りて、それを序詞とし、「うつ」という掛詞で「鬱」につなげてみたものです。
みなさんにとって、「鬱」はどちらのイメージでしょうか?
こんな言葉を見つけました。
哲学者ウィトゲンシュタインが自らの言語論理を、滑らかな氷の上の世界に喩えて、こう表現したそうです。
すると、僕らは「鬱」であっていいのかもしれません。
僕の概ねの心持ちは、天気予報で言えば「曇り時々晴れ」みたいな感じと言えばいいでしょうか。
時々、いいことがあります。それが大事な気がします。withコロナならぬ、with鬱といったところでしょうか。
台風が近づいています。みなさん、お気を付けください。
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