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第171話:少年喪失

コロナのワクチン接種の2回目を先週の金曜日に打った。
1回目は翌日腕が痛むくらいで何ともなかったが、今回は翌日土曜日の夜に38.2°まで熱が上がった。でも、病院が処方してくれた解熱剤(カロナール)を飲んだら、あっという間に下がり、それ以降何も起こらなかった。

想定内というところだろうか。免疫が付くのは2週間後と言うし、2回接種した人の感染も報告されているから、まだまだ油断はできないが、それでもちょっとホッとした。

勿論、健康上、打てない方もいて簡単にそんなことを口走ってはいけないのかもしれないが、みんな、怖いとか自由だとか言わないで、たぶん打った方がいい、と思う。コロナの終息に向けて僕らができる大事な方法だから。


さて、今回久しぶりに体温計を使って、ひょんなことに気付いた。

体温計は測定を終えるとピッピッという電子音で教えてくれるのだが、その音が自分には聞き取れなくなっていた。
最初はいつまでも鳴らないなあと思っていたのだが、近くでカミさんが「鳴ってるわよ」と教えてくれる。その音が、僕には全く聞こえてこない。

数年前から聴力が落ちていて、人間ドックを受診すると、左耳の高音部が聞き取りにくくなっているとの指摘を受けるようになった。聴力検査をしたことのある方はお分かりかと思うが、検査で使う音と体温計の音は酷似している。

もうちょっといろんな音域のあるメロディみたいのにしてくれないかなあ、と体温計を恨めしく見つめてみたがどうしようもない。普段はほとんど意識されるほどでもないのだが、こんな些細なところで老いを感じさせられるのは、なかなか辛いものがある。

そう言えばテレビの音も聞こえにくくなり、大河ドラマなどはボリュームを40以上にしないと聞こえない。スピードにもついていけず、お笑いの人たちがしゃべっている声も聞き取れない。

そう、衰えは確実に迫ってきている・・。
何かことがある度に、「ふとそこにある」という感じだろうか。


似たようなことを50代前半に感じたことがあった。

そのころは夏休みにバイクでツーリングをしていた。
夏休みと言っても世の中の人が考えるほど教員は暇ではなく、土曜も日曜もなく毎日部活がある。夏休み半ばに試合があり、それが終わると合宿に入る。生徒を休みにしても、テスト作成や講習準備など、やることは山ほどあって、例えば、昨年までの4年間、休みは一日なかった。ツーリングは封印。
今年は雨が続き、コロナで活動が制約されてしまったので、暦どおり土日を休めているが。

それでも40代から50代前半までは何とか5日間の休みを捻出し、その休みのすべてをツーリング、日本一周一筆書きの旅(もしよろしければ→こちらをご覧ください)に充てていた。

ただ、その年は翌年の高原教室の担当になりそうだったので、志賀高原にバイクで出かけ、まだ自分が登ったことのなかった志賀・裏志賀などに登り、使いそうな周辺の散策路を、二日間、朝から夕方までひたすら歩きまくってコースを把握した。(出張じゃないです。私費。)

二日目の夜、やはりバイクで遠出したいという想いが捨てきれず、ここからなら佐渡に行けると思い立ち、宿のインターネットでフェリーと翌日の宿を予約し、翌朝5時に志賀を出発して新潟の直江津へ。そこからフェリーで佐渡にわたり、佐渡を一周して帰って来た。
なかなかの強行軍である。毎年のことであるがツーリングから帰って来た後はボロ雑巾のようにくたびれているが、それでも翌日からまた炎天下の中の部活が始まる。

話を元に戻すが、その年はツーリングの間、ずっと髭を剃らずに久々に無精ひげを伸びるままにしていたのだが、ふと鏡を見て愕然とした。そのほとんどが真っ白になっていたのだった。

これが俺かと。

人は年を経れば老いるわけだが、何故か自分だけはどこかで例外の様な気がしていた。こんな無謀な夏をいつまでも続けていたい、あるいは、続けていけるような気もしていたが、でも、もう無理なような気もした。

今は、物理的に、維持費が出せないということでバイクを手放してしまったから、もうツーリングにも行けなくなってしまった。寂しい。「風船がしぼんで行く感じ」と言ったら理解していただけるだろうか。
「ああこれは僕の中の少年喪失なもかもしれない」みたいな寂しさ。
男って、何だかいつまでも少年でいられるような気がしている?

オイオイ、ちょっと待ってくれ!(注:老いのダジャレ)と、注が必要なほど程度の低いオヤジ(ジジイ)ギャグをかまして、せめて明るく終わりたい。


■土竜のひとりごと;第171話


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