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第82話:紫陽花とぼやき

[子育ての記憶と記録]

息子がまだ小さかった頃の話。

うちのカミさんは花が好きで、居間の花瓶には大概何かしらの花が活けられている。今は紫色のガクアジサイが、三本、ひっよっこりとさされており、可憐な上品な花を咲かせているのだが、花のある空間はやはりいいもので、カミさんに感謝する気持ちが思わずわいて来たりもする。

ただ、花が別の新しいものに活け替えられた時が問題で、それに気付かないと彼女が大変機嫌を損ねることになる。このガクアジサイの時も夕食のときにふいに「何か気が付かない?」と聞いて来たわけだ。

一瞬ドキッとしてヘアースタイルでも変えたのかと思い彼女の頭を見たが特に普段とかわりはない。以前にこのことで僕は彼女の信用を失ったことがあった。

服装や顔の形もいつもと同じである。「はて、それじゃあ今日は何か特別な日だったか?」と思ってみるが、思い当たる節もない。途方に暮れていると彼女が「あれよ」と言うので、指さす方を眺めてみるとアジサイがあった。

「なんだアジサイじゃないか」と言うと、
「なんだ、はないでしょう。せっかく貰って来たのに」と言い、
「きれいでしょ」と聞く。
何気なしにテレビを見ながら「ああ、きれいだ」と言うと、それが彼女に怒りのもとをなすことになるわけで、
「いいわよ。どうせあなたは…」と始まるのである。

「きれいだよ。実にきれいだ」と慌てて言ってみるのだが、もう遅い。
「いいわよ。そんなこと言ってくれなくても。まったく無頓着なんだから」と言い、過去にさかのぼって僕の非を語り始めることになる。心を和ませるはずの花が思わぬいさかいの種になってしまうのも困ったことであるのである。


その辺りを大変うまくやっているのが息子なのであって、カミさんが「新しいエプロンにしたの。どう?」などと聞くと、「ああ」「そう」などと言っている僕を尻目に、「フーン、かわいいじゃん」などと言ってのける。
「こいつ」と思うが、単純なカミさんは「そうよね。お父さんには分からないのよ」などと当てつけがましく言い、二人で抱き合っている。

いつぞやもカミさんがまた「あなたは何も気がつかないでしょう」と言うので慌ててカミさんの顔を見ると確かに美容院に行った形跡が見られる。
しまったと思うが時既に遅く、「この子はね、きれいになったねって言ってくれたわよ。あなたとは違うわ」と言ってまた二人で抱き合っている。

2対1でどうも分が悪い。

それだけではない。息子のカミさんびいきは徹底していて、カミさんが風邪をひいて咳をしていると背中をさすってやったりする。カミさんが横になると毛布を引っ張り出して来てかけてやり、枕を持って来て頭の下に入れてやる。しまいには自分のおでことカミさんのおでこに手を当てて熱の具合を見たりもするのである。

でもそれだけなら許そう。お母さんを大事にすることは大切なことである。
しかしそれだけではない。息子は父親である僕をないがしろにするのであって、これは許せない。

夜寝るときに
「何か本を読んでやろうか」と言うと、
「エー、お母さんがいい」と言うから、
「何故?」と聞くと、
「お父さんはボソボソ読むからつまらない」と言われる。
オナラをすると「お母さん、お父さんがオナラをした」と言い付けられる。

でも、それだけならまだいい。
こいつは僕がいちいち反応するのをおもしろがって、わざと挑発している節がある。

僕の前ではやたらとカミさんにひっついてベタベタするのも挑発のひとつである。
「いつまでもお母さんにひっついてるもんじゃない」と言うと、今度はカミさんのオッパイにしがみついて「ああ、いい気持ち」などと言っている。明らかなる挑戦である。

「もともとそのオッパイはお父さんのものだ」

と、わけのわからぬことを言いながらカミさんから引きはがして格闘状態に入る。ふざけてくすぐりたたき合ううちにいつしか二人とも本気になり、ケンカになる。パンチや蹴りや頭突きが炸裂し、収拾がつかなくなる。
「お父さんを蹴る奴があるか。学校の道徳でお父さんを大事にしなさいって習っただろう」と言うと、
「そんなのあるわけがねえだろ」と、口でも応酬して来る。

そのうち見るに見兼ねたカミさんに「二人ともいいかげんにしなさい」と叱られるわけで、こんな理不尽な日々を僕は生きていたのである。が、今となってはそんな日々が懐かしかったりもする。

何でもない話だが、アジサイを見てそんな日々を思い出した。

(土竜のひとりごと:第82話)

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