第265話:カレーうどん
老人の病気の話など聞きたくないとは思うのだが、ご勘弁いただきたい。
夏の暑さが過酷なせいであろうか、10月の空気が冷んやり頃から疲れが出はじめ、口内環境が悪化、次いで歯が根元から痛み出して物がうまく噛めなくなり、そのせいで次第に胃が傷み出した。
なんと、これは一年前と全く同じ経過で、歯医者に通い、耳鼻咽喉科に通い、前回は年が明けてすぐに胃カメラを飲み、多分その時にコロナに感染してしまった。
そこで今回は病院を避け、胃に負担をかけないよう、夜は「うどん」ばかりを食べていた。1ヶ月もそんな生活をしていたら何と今度は下痢ばかりが続くようになってしまった。
何か悪い病気かとネットを検索してみると「うどん」ばかり食べていたせいで「過敏性腸炎」とやらに罹っていたらしい。むろん、やってはいけない素人の自己診断でしかないが。
その経緯は実はどうでもいいことなのだが、実は「うどん」ばかりを食べている間、カミさんが気を遣って、飽きないように出汁とか具とか、いろいろなバリエーションを用意してくれたのだが、食事がカレーの時に、当然のように「カレーうどん」が出てきた。
そう、それで、それを食べながらふと気づいたのだが、僕は多分これまで「カレーうどん」を食べたことがなかった。63年も生きているのに不覚にも、生まれて初めて「カレーうどん」を食べたことに気づいたのだった。
何としたことだと、その「迂闊さ」にちょっと感動を覚えたりしたのだったが、胃が弱くて小さい頃からカレーが苦手だったからかもしれない。
今では香辛料のきつい辛めのカレー以外は食べるが、そう言えば結婚した頃「カレーが食べられないのは迷惑」とカミさんに言われたことがあった。メニューを考える面倒を回避するのにカレーはベストな料理だからだ。
そんなわけで僕は無意識に「カレーうどん」を回避して生きてきたらしく、その事実にやや棒立ちになったのである。
しかし、よくよく考えてみれば食べたことのないものなどいっぱいあって、たとえば、キャビアとか、トリュフとか、クエとか、松坂牛とか、燕の巣とかも食べたことはない。
そう言えば、トムヤンクンとか、パンナコッタとか、カルボナーラとかも。
そうでなくても、ケンタッキーフライドチキンも豚骨ラーメンもクレープも食べたことがない。
そう考えると、僕はいかにも「迂闊に」生きてきてしまったような気がした。
そう言えば、と思う。
やったことのないこともたくさんある。スノボ、サーフィン、銀行強盗?、プリクラ、ファミコン、スマホのゲーム、インスタ、ツイッター、カラオケ。無限に拾えそうだ。
カラオケをしたことがないので、当然カラオケボックスにも行ったことがない。そうしてみると、行ったことのない場所もたくさんあることが頭によぎる。ヨーロッパ、沖縄、富士山頂、宇宙?、キャバクラ?、今勤めている学校だって7年間もいて足を踏み入れたことのない部屋がたくさんある。
読んだことのない本も、観たことがない映画もたくさんあるし、話したことのない人もたくさんいる。己の経験の幅の経験の幅の何と狭いことだろう。人間が生きて経験できることの何と「ちっぽけな」ことだろうと、「カレーうどん」を啜りながら思い、自己嫌悪に陥ったりしてみたのである。
生きることが見出せなくなりそうな時は、「死ぬまでにしたいこと」をノートに書き出すといいと言われるが、このまま「していないこと」を書き出せば、ノートが100冊くらい必要になってしまい、あと100年くらい生きなくてはいけないかもしれない。
ただ、いつだったか甥の結婚式に呼ばれた時、コースのメインの料理にフォアグラが出てきたことがあった。
どんな味だろう、さぞ美味しいに違いないと、その未知の味にちょっとドキドキしてみたりしたのだったが、いざ食べてみると、それはなんとも言えないほど、別にそれほど美味しいものではなかった。
世の中で言われていることの多くは、実は、世の中で言われているほど美味しかったり重要であったりすることでもなく、未知は案外、未知のままの方がいいこともあるのかもしれない。
一人でプリクラを撮りに行ったら変態ジジイと思われるだろうし、豚骨ラーメンを食べると胸焼けで眠れずに苦しむかもしれない。
老骨はもはや己のままに生きることにしたい。
ボリュームのあるトンカツよりも、そこに一緒に載せられているキャベツの千切りが美味しい。
欲を言えば、畑を借りて茄子を作り、美味しい「茄子の煮浸し」を食べたい。付け合わせに「ネギぬた」があれば、なおいい。そんなことを思ってみたのだった。
■土竜のひとりごと:第265話
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