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第297話:教員採用辞退204人

先日、高知県教育委員会が今年行った小学校教員の採用試験で、合格者280人のうち7割を超える204人が辞退したというニュースがあった。

教員稼業はブラックなイメージが強くて、昨今、不人気なのは承知していたが、まさかそこまでとは思わず、ちょっとびっくりした。
身近でも、教師になってすぐに辞めてしまう人も多く、管理職が講師を血眼になって代替教員を探し回ったりしている。受験の指導をしていても、国公立の教育学部はかつてに比べればかなり合格しやすくなっていて、そんなことからも教員の不人気が実感されてしまう。

働き方改革から疎外された職業だからそれもやむを得ないのかもしれないと自分の労働を顧みて思ってみたりもするが、いやいや、別に教員だけが大変なのではなくて、どの仕事も苦労があって大変な思いをしてみんな働いていて、仕事っていうのはそういうものではないかと思うが、そういう考え自体がもう頭が古いのかもしれない。


下世話な言い方になるが、ありがたいことに教員というのはよく花束を貰える職業ではないかと思ってみたりする。

普段いろいろあっても教員には「ハレ」の日が年に何回かあって、例えば、卒業式や離任式、面倒を見ていた生徒が大学に合格した時、年度末にクラスが解散する日、部活動で3年生が引退する日など・・。
そんな区切りの日には生徒が感謝を伝えてくれる。誕生日を祝ってくれるときもある。卒業してから一緒に飲むことも。色紙の寄せ書き、手紙や贈り物、動画を作ってくれたり。
もちろん花束もそうした中のひとつ。

そんな日々には、そんな「つながり」に感謝し、普段のごちゃごちゃした思いはすっ飛んでしまう。それは教員の特権かもしれない。そういうことに支えられて来たんだという気がする。
とあるマラソンランナーがレース中に苦しくてこれで引退しようと思ってもゴールした瞬間にまた走りたくなると言ったというが、それに似ているかもしれない。

Mなのだろうか?

働き方改革の時代。確かに、つながりとか花束とかより自分の時間を有意義に使える方が個人の人生として有意義なのかもしれないが。

カッコつけて言えば、僕は「丹精」っていう言葉が好きだなって思う。



蛇足だが、ある時、卒業したばかりの生徒が3月末に遊びに来て、卒業式に渡せなかったからと言ってやや小振りの花束をくれたことがあった。

家に帰ってカミさんに「はい、これ卒業生がくれた」と言って渡すと、「えっ」と言って怪訝な顔をしている。
「?」と思って花束の中をよく見ると、周りのラッピングこそそのままだったが、中にあるべき花が抜け落ちて影も形もなくなっていた。さては車の中で落ちたんだろうかと思って見たが花の形跡はない。

翌日学校に行ってみると、駐車場にその花が、他の車に轢かれたのだろう、見る影もない可哀想な姿で横たわっていた。車に乗って帰ろうとした時に夜の駐車場で僕の手から滑り落ちたものと思われる。
カミさんは「せっかくの花を、この人は何て粗忽な人なんだろう」と思ったに違いない。


ああ、と思い出してしまったのだが、こんなこともあった。

かなり以前のこと、職場で「今日は結婚記念日」と言ったら、女性の同僚に「それじゃあ、奥さんに花を買っていくべきよ」と言われたので、「そんなものか」と思って花を買って家に帰った。
「はい、これ」と言ってカミさんに花を渡すと、「どうしたの?」と言うので、「結婚記念日だから」と言うと、「わぁー嬉しい。ありがとう」と言って喜んでくれた。

が、その後にひと言、「結婚記念日は明日だけどね」とのたまった。

どうやら僕は結婚記念日を一日間違えてインプットしてしまい、実は今でもその日が10月17日だったか18日だったか判然としない。
カミさんは内心「この人はそんなことすら覚えてない」と思ったかもしれない。せっかく恥ずかしさを堪えて渡した花束だったが、とんだ空振りに終わったのであった。


・・ひょっとしたら若い人たちが教員を忌避するのは、かように魯鈍な僕の姿を見て「こんないい加減な教員になりたくない」と思いながら学校生活を送ってしまった反面教師?ってやつが原因なのかもしれない・・と寂しく反省してみたりするこの頃でもある。


■土竜のひとりごと:第297話

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