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第206話:堀北真希

源氏物語の授業では、生徒にドラマ化した際のキャスティングを尋ねることにしている。

「光源氏は誰?」と問うと、あーだ、こーだと名を挙げるが、最近テレビなど見ない僕には所詮わからない。
生徒の意見を無視して「僕だったら福山雅治かなあ」と言うと、案外生徒は「ああ、なるほど」という顔をしている。カッコよくて、ちょっと軟派な男の色気がある。一昔前だったら沢田研二だったかもしれない。

「じゃあ紫の上は?」と問うと、欅坂とか乃木坂とかいろいろな名前を挙げるが、これも僕には所詮わからない。
そこで生徒の意見を全く無視して「堀北真希だよね」と言う。生徒はややハテナ?マークだが、そういうことをきっかけとして、僕に理想的な女性を問われたら堀北真希と答えなければいけないということを生徒に刷り込んで(強要?洗脳?して)いく。

漢文の授業でも、
「A莫如B」は例えば「女優は堀北真希くはし」と読み、「女優は堀北真希に及ぶものはない」と訳す。
「A孰与B」なら例えば「新垣結衣は堀北真希孰与いづれぞ」と読み、「新垣結衣は堀北真希とどっちだ」と訳す。
「ただこの『A孰与Bという構文の場合はBがよいということなので堀北真希に軍配が上がる」と説明する。
生徒は新垣結衣だろうと言うが、「ガッキーは百点満点なんだ。でもそれでも堀北真希なんだ」と意味不明なことを言うので生徒は呆れている。


10月6日の彼女の誕生日には必ず

愛の本質は愛することにあり、愛されたいと思った瞬間に愛はちょっと重たい歪んだものになってしまう。僕は堀北真希を愛し続けるがゆえにこんなに立派な人格なのだ。

と愛の本質を教えもしている。

夏休み前には、「僕はサマージャンボが当たるので二学期からは来ません」と言い、夏休みが明けると

僕はサマージャンボが当たって、ハワイで堀北真希と楽しく過ごしていたのですが、君たちのためを思って仕方なく帰ってきてあげました。

と教師愛を押しつけを試みるが、この頃になるともはや誰も相手にもしなくなる。

しかし、そんな愚かなことを繰り返していると徐々に洗脳されていった生徒たちは、雑誌に載っている堀北真希の写真のページを切り取って持ってきてくれたり、最近ではラインで写真を送ってきてくれたりもする。

彼女の山本耕史との結婚(2015)が発表された時は、どのクラスの授業に行っても、同情と同時に「ざまーみろ」的な言葉を浴びせかけられた。
芸能界引退(2017)のニュースは卒業式直前の発表で、式場への入場のため並んでいる生徒の列を通り抜けるのに「引退!引退!」みたいなヤジ?が頭上を飛び交った。
卒業生のお母さんが「あの先生が堀北真希の先生なの?」と生徒に聞いている声が聞こえてきたりもする。ちなみに僕は堀北真希の先生ではないが。

そう考えると(もっとも、プラスに解釈すればの話だが)、不思議なもので堀北真希がいつの間にか生徒との接点に、なくてはならないものとして君臨していることになっていると言っても過言ではない状況を生んでいることになる(日本語が変になってしまった)。

だが、2017年に引退して既に5年の月日が流れる(2022年現在)。先日、職員室に掃除に来た1年生が、僕の机に貼ってある堀北真希の写真を見て「この人誰?」と友達に聞いていた。聞かれた友だちの方は認識していたが。
高校生にとって既に堀北真希がもはや過去の人になりつつあると言える。これは寂しいことだ。

堀北真希
が生徒との接点として共有できない・・。

すでに60歳の僕と高校生の間には40年以上のギャップがある。
高度経済成長も、バブルも、アメリカの同時多発テロも、ガッチャマンも、ルーズソックスも、スターウォーズも、彼ら彼女らには、もはや通用しない。


これも先日のこと、クラスで遠足に行った。
例年なら鎌倉に行くのだが、コロナの影響で計画段階でそれは不可能になり、とにかくクラスごとの小単位で一日、受験勉強の疲れを癒そうということで、彼ら彼女らがセットしたのは Round1で一日遊ぶということだった。しかもバスで2時間かけて浜松に出かけた。
既にそうしたことも感覚がすれ違っているのだが、バスの中で生徒のやるイントロクイズ+ビンゴ大会、イントロどころか僕の知っている曲は全くなかった。

Round1のボーリング場で誕生日の登録を求められ、ある生徒の誕生日を入力しようとして19を入れると「いえ、2003年です」と言われた。
平成生まれが高校に入ってきたときにもショックを受けたが、この子たちは03年生まれなんだと、迂闊にもそんなことに気づかなかったことに愕然とした。世紀を異にしている・・。

2003年は奇しくも堀北真希が14歳でデビューした年である。
堀北真希がカムバックしてくれれば生徒との接点を見失わずに済むのだが、それも無理そうだ。
生徒は「妹のNANAMIでいいじゃん。可愛いよ」とあっさりと言われるが、昭和生まれにはそう簡単にそういうことができない・・のだよ。

そうだ、国語の授業をつぶして『ALWAYS 三丁目の夕日』をみんなで観ればいいんじゃないか、としきりに思うこの頃なのである。


■土竜のひとりごと:第206話

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