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古池や蛙飛び込む水の音

高校の頃、先生にいたずらを仕掛けるのが好きなSという奴がいて、いたずらをしては先生を困らせて喜んでいた。甚だしく古典的だが、教室の入り口の戸に黒板消しをはさんでおいたり、黒板のチョーク受けの前面にチョークを塗っておいて、先生の服が汚れるのを楽しんだり、チョークをボンドでくっつけて取れなくしておいたり、赤いチョークの周りを白いチョークで塗っておいて、白だと思って書いた先生が赤い字が出てきたことに驚くのを喜んだり・・。

先生も老練な方が多く、怒るでもなく、むしろそれを楽しんでいた風であったが、ある時、Sが後ろの黒板に
 To be to be ten made to be.
という英文を書いて、「先生、意味がうまく取れないので訳してください」と願い出た。これも古典的なジョークだが、実は一見英文らしく仕立ててあるが、飛べ飛べ天まで飛べという文句をローマ字表記したものであって、英文としては全く意味をなさないものなのである。

しかし、なまじ不定詞の知識があったり、ハムレットの中の To be or not to be.という有名なセリフが頭にちらついたりすると、思わず迷宮にはまり込んでしまったりする。要は先生がその迷宮にはまり込むかどうか試してみようといういたずらなのである。

しかし、当然と言えば当然かもしれないが、さすがに先生は引っ掛からなかった。Sのたくらみをすぐに見抜いて、にやっと笑い、「では、S君。こういう英文をご存知でしょうか」と言って、
Full it care, cow was to become me is note.
と黒板に書き付けた。Sはそれですごすごと引き下がらざるをえなかったわけであるが、さきほどのパターンで考えれば、これは「古池やかはづ飛び込む水の音」という、日本人なら、恐らく誰でもが知っている松尾芭蕉の名句のローマ字版として読めるわけである。単なる言葉遊びではあるが、こんなちょっとしたことにも上には上がいるものだと、ちょっと感心してみたりしたのであった。

実は記憶が大変に曖昧で、先生が黒板に書いたと書いた Full it care~ は、殆どは僕がテキトーに単語を当てはめてみただけのものである。どなたか正確にご存知の方は教えていただきたいのだが、性格が正確さを要求する僕は、不確かなままではいかんと思い、英語の先生なら知っているだろうと、ノンベーの菓語教師に、これを知っているかどうか質問してみた。

彼は僕の書いた偽英文を見ながら、「知らんなー」と言い、「そんなのはたいして面白くはない。こっちのほうがおもしろいぞ」と言って、聞きもしないのに勝手に自分の持ちネタを話し始めた。

彼は語る。 Mochi course というのがある。これは ”of course" のモジリで、「勿論」の代わりに使えばオシャレだ。

それから、 Shocking Room 。これは「恐ろしい、ぞっとする部屋」が文字どおりの意味だが、ショッキインルームはショクインルームとも聞こえなくはない。つまり職員室。生徒にとっては、恐怖の部屋なわけだな。

まだある。 Don't give me white leaf.  これは「白い葉をくれるな」だが、「白い葉」を「シラバ」と読めば、「しらばっくれるな」ってわけだ。
おもしろいだろう。これはもっとおもしろい。

  Look at the mar だ。mar は[「欠点」で、「欠点を見ろ」ということだが、the mar は、そのまま読めば「ざまー」だ。だから「ざまー見ろ」ということになる。

どうだ、ガッハッハッハ。という具合である。彼は続けて自分が作ったという英語の春歌も紹介してくれたが、そこに女生徒たちが掃除のために入ってきたので、幸いなことに、彼のトークはそこでおしまいとなった。

要するに to be to beFull it care は日本語の音を英語に置き換え、white
leaf
は英語の意味を日本語の音に変換し、the mar は英語の音を日本語に当てはめた言葉遊びである。 

そういうことは、実は身近にたくさんある。

随分前に投手の格好をしたナイナイの岡村がスプーンを投げようとする映像に、Don't pitch the spoon. ことばをつけたCMをやっていたが、「サジを投げるな」ということである。

もっと身近なところで喫茶店に入ると ice coffee を「愛すコーヒー」と書いてあったりするが、これもこの種の遊びである。 

もっと国語的な例を挙げれば、romantic という音に「浪漫的」という漢字が当てられたり、club は「倶楽部」と書かれて定着していった例もたくさんある。「背広」は civil clothescivil から来ている。これらは音訳と呼ばれているが、音と意味とが微妙に絡み合っているのが面白い。 

どこまで「遊び」の感覚があったかは知らないが、外来のものを生のまままともに受け入れず、白分たち流に消化しようとする日本人の精神がうかがわれて興味深い。もしかしたら、その根底にあるのは、ユーモアの精神や遊び心であったのかもしれない、と半分期待を込めて思ったりする。眉間に繊を寄せながら必死で遊んでいる日本人の日本人らしさを思ってみたりするのである。

すると、love って、「裸舞」?
・・セクハラで女生徒に訴えられそうだ。


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