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「とみに」ってなに?

先日、部活動の引率でテニスの試合に行った時、女子生徒と他の選手の試合を見ながら、「あの選手は派手さはないが、プレーにそつがない。見習わないといけないね」と言ったら、生徒にきょとんとされた。「そつがない」という言葉が未知との遭遇であったらしい。
同じ日、試合を終えたペアがアドバイスを聞きに来たので、あるミスを指摘し「君たちは最近そのミスがとみに多くなった」と言ったところ、二人はアドバイスの内容などそっちのけで「とみにって何?」と首をかしげあっている。

「君らは日本人か?」と問うと、
「そんな昔の言葉は知らない」と言う。
「昔の言葉」とは言うが僕らはごく普通に使ってきた言葉であり、そういう言葉がすでに彼女らにとってはもはや「ジジイ語」でしかないことに困惑することが多くなった。

古典の授業で古語を扱うとそれはさらに深く実感される。わかりやすいようになんとか今の言葉との接点を見つけて説明しようとするのだが、その接点がすでに共有できない。
例えば「むつかし」という言葉は「難しい」ではなく「不快・煩わしい」というニュアンス。「赤ちゃんがむつかるって聞いたことない?」と聞くとやや微妙な反応。
また例えば、「かこつ」という言葉は「他のせいにする・口実にする」という意味だが、「客にかこつけて酒を飲むってわかる?」と聞くと、もうちょっと微妙になる。
源氏物語で紫の上が自分の死に対する源氏の悲嘆を「ついに(私が最期の時)いかに思し騒がむ」と案じるのだが、「つい(終)のすみかって知ってる?」はさらにも微妙になる。

さっきの「とみに」もそうで、「『とみに』は漢字で書けば『頓に』なんだ。頓死するとか頓挫するとか言うだろ」と言ってもかえって迷走を招くことになりかねない。
仕方なく迷走している女子部員に
「『急に』という意味だ」
と伝えると、
「なーんだ。だったら『急に』って言えばいいじゃん」
と非難されることになる。
そう言われると「その通りだよ」と思ってしまう昨今。確かに、「いみじ」や「あはれ」は、「やばい」とか「エモい」と説明した方がわかりやすいかもしれない。


ただ、全く当てずっぽうに言うが、社会や心情に関係する言葉はどんどん変化していくのに、身体や動作に関する言葉は意外に変化が少ない気もしたりする。
テニスの指導をしていると、そうした言葉が単純明快で図太い働きをしてくれると思うことがある。

例えば、ストロークはどうしても速いボールを打ちたがり、力んで体が前に突っ込んでネットにかけるミスが多くなる。ラケットのスイングは回転運動だから野球のバッティングをと同じで体の軸を乱してはいけないのだが、なかなかわかってもらえない。
ただ、いつだったか、これを「ボールを持ち上げろ」と言うと伝わりやすいことを発見した。ボールを持ち上げることを意識すれば、自然に体の軸が起き、インパクトから後のスイングが大きくなる。構えた時の視野も広がる。そこから強打もロブも打てる。

同じように、スマッシュやサーブの縦のスイングは、ボールを高く空に投げ上げる体の使い方と一緒であって、その動作を意識させるのだが、どうしても肘が引けないまま斜め横に手を出して引っ叩くからミスに繋がる。
ただこの間、これが上手くできない生徒に「ラケットをかつげ!」と言ってみたら、不思議なことに難なくできるようになった。

蛇足だが、愛を告げるときにも、ごちゃごちゃ言わないで、単純明快に「好きだ」と言った方が言葉として力があるのかもしれない。


ところがである。

先日、いつもハイボレーを低い位置からたたき出してしまう女子部員がいて、彼女は本当に真面目で純粋な愛すべき「天然ちゃん」なのだが、練習試合の最中に同じミスをしたので「(ボールの)頭を押さえるんだ!」と注意したのだったが、なぜか彼女はコートの真ん中で、右の手のひらで自分の頭のてっぺんを押さえ、「こうですか?」とのたまった。

こうなると、もはや言葉では救えない。



■参考
「とみに」という言葉に関して次のような記事を見つけた。ひょっとしたら僕も半ば「特に」というニュアンスで使いっていたのかもしれないと思い、いや自分を棚に上げて彼女らを侮辱したのかもしれないと反省し、メモしておくことにする。

【毎日漢字】頓に(とみに★41%)⇒「急に」という意味。だから「最近とみに暑くなってきた」ならともかく「今年はとみに暑かった」は誤用といえる。「特に」の意味と間違って使っていると思われるケースが近ごろとみに目につく。なお広辞苑は91年の第4版から「しきりに」の意味を加えている。

毎日新聞校正センター:https://twitter.com/mainichi_kotoba


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