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「ぼけ」も楽しく。

先日、病院のエレベーターの前でエレベーターが来るのを待っていた。知り合いの見舞いに行ったのだが、最上階からの眺めが素晴らしいと言われて、病室がある階から最上階に行こうとしたのである。

すぐにエレベーターはやって来たが、しかし何故かエレベーターは止まらずに行ってしまった。「?」と思いつつも、次を待っていたのだが、やってきたエレベーターはやっぱり素通りして行ってしまった。

「?」とやや憤慨しつつ次を待っていると、三たびやって来たエレベーターは、待っている僕をバカにしたように無視して行ってしまう。「この階には止まらないんだろうか?」という疑念さえ抱きつつ立ちすくんでいると、別の人がやってきてエレベーターのボタンを押す。すると、次にやってきたエレベーターは当たり前のようにスッと止まり、扉を開けたのであった。

そう、僕はエレベーターの前に立ってはいたが、ボタンを押さずにただ立っていただけだったのである。

疲れているときにはこんなこともあると自分を慰めてもみるのだが、最近は頭も耳も目も口も衰え、辞書は眼鏡を外して額を付けるようにしなければ見えず、生徒の声も聞き違える。指名した生徒が答えに詰まって「ウッ」とうめいたのに「そうです。正解はウですね」と言ってみたり、あろうことか、生徒が「ア」と言っているのに「そうです。正解はウですね」なんて言ってしまったのを生徒に指摘されたりすると、悲しいほど滅入ってしまう。



かつて、図書館に勤めていたころ、こんなことがあった。
その日は視覚が不自由な方のために音訳や点訳をしているボランティアの方たちのためにヨミを調べる本やサイトの調べ方を紹介する講習会に出向いたのだが、その中のある方が、ふと「前に読んだことのある本でもう一度読みたいのがあるんですが、タイトルを忘れてしまって、そういうのって調べてもらえますか」と言ってきた。

「本の内容を覚えていますか」と尋ねると、「漱石関係の本です。ですます体のできる過程やその苦労話が書かれている本だったんですが」と言う。出版者や著者はわからないということだった。「ですます体ができるまでの苦労を書いた本ですね」と確認すると、「そうです」と言う。それでは調べてみましょうということで調査に入ったのであった。


とっかかりはインターネットを検索。さまざまな検索語で試してみるが、ヒットする情報はない。次に図書館や書店の作る書誌のデータベースで検索。しかし、ヒットする情報はない。明治期の文体について書かれた本、漱石関係の雑誌論文記事を当たってみるが、該当しそうなものは見あたらず、簡単に解決しそうに思えた調査は出口の見えない状態に陥った。

紆余曲折。
清水義範という直木賞作家が国語関係の軽い本を書いていると思いつき、その線で当たってみると「漱石先生大いに悩む」という本が浮上。書誌を確認すると「新しい文体をめぐって、あるウラ若き女性と意見を交わしていた重大新事実が浮上してきた」とある。これではないかと本を確認すると、確かに「ですます体」の話題も書かれている。


そこで質問した女性にこれではないかと、そこそこの自信を持って電話で確認すると、あっけなく「違う」と言われてしまった。そんな本ではないと言う。

そこでもう一度、「ですます体ができる過程の苦労を書いた本ですよね」と確認すると、「えっ、違います。デスマスクですよ」と言われる。「えっ、デスマスクなんですか」と思わず聞き返してしまったが、なんのことはない、なんとデスマスクですます体と聞き違えていたにすぎなかったのであった。

そこで調べ直すと山崎光夫氏の「サムライの国」という本の中に「漱鴎のデスマスク」という文章があった。「これでしょうか」と再び電話すると、「そうそうそれそれ」ということで、あっさり調査は解決してしまった。

相手の声を聞きとれないのは勿論、自分の発した声をも正しく聞きとってもらえない・・。老いへの不安は積み重ねられ、さらに、夏休みを過ぎると覚えていたはずの生徒の顔と名前がまったく一致しなくなっていたりもすると、その不安はさらに増大していくのである。



しかし、ある時、そんな僕を勇気づけるこんな出来事に遭遇した。

それはカミさんの誕生日に、とある温泉旅館のランチバイキングと温泉のセットをプレゼントと称して二人で出かけたときのことであった。ランチを食べ、風呂に入ったのだが、風呂から上がると僕の使っていたロッカーのすぐ上のロッカーを使っておじいちゃんが脱衣をしていた。

そこでおじいちゃんが脱ぎ終わるのを待っていると、おじいちゃんは下半身だけを脱ぎ、上半身にシャツを着たまま風呂に向かっていった。
ほう、そんな「ツウ」な入浴法があるんだと感心していたのだが、しばらくするとおじいちゃんは戻ってきて、
俺はシャツを脱ぎ忘れてしまった
と言ってシャツを脱いで再びお風呂に向かって行った。

僕などまだまだと、その時、僕は深い感銘を覚えたのであった。

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