第152話:17万円入った財布を拾った
上をむいて歩こうという坂本九の歌があったが、人間は基本的に上を向いては歩けない。上を向いて歩けば、きっと側溝にでも嵌って大怪我をするに違いない。同じように、右を向いても、左を向いても、後ろを向いても人間は歩けないわけで、必然的に人間が歩くときの視線は「前」か「下」になる。
前を向いて歩くのと下を向いて歩くでは、ずいぶん雰囲気が違っていて、前者は優秀な人間がイメージされるのに対し、後者は落ちこぼれ的な人間が思い浮かんでくることになるわけだが、さしずめ僕などは後者なのであって、大概は俯いて歩いている。
俯いてお前が生きる正しさを 叫べ 飾らぬ迷いのままに
という感じだろうか。
でも、俯いて歩くことのメリットは多分、甚だ少ない。会いたくない人と目を合わせて言いたくもないお世辞を言わなくて済む? ひょっとすると一億円でも落ちているのを見つければ人生が変えられるかもしれない?・・が、当然そんな幸運はない。
ところが、かつて定時制に勤めていたとき、こんなことがあった。
夜の9時に授業が終わると生徒を送り出すために校門に立つのだが、その日もいつもと同じようにうつむきながら校門に立ったのであった。
寒いので動物園の熊のように意味もなくうろうろ歩き回っていると、道路脇に何かが落ちているのが目に入った。「何だろう」と思って寄ってみると、財布だった。拾い上げると、結構、分厚い。何となくはやる気持ちを押さえて中を見てみると、お札がかなり入っている。ざっと数えてみると1万円札が17枚、千円札が5、6枚あった。
「これはすごい」と思ったわけで、財布とは言えこれだけの金額を財布に入れている人はなかなかいるものではない。ちなみに僕の財布には、お札が入っていることさえ非常に珍しい。息子が僕の財布をのぞき、「お父さん、少し貸そうか」などと言ったりもする寂しさなのである。
これはきっと僕のために金持ちがわざと落としていったに違いない。あるいは神様が品行方正な僕のためにプレゼントしてくれたものかもしれない。やったー!。そういう思いがワーッと僕の胸に広がっていく。
折しも、僕はバイクを買った直後で、カミさんに17万円の借金があった。その金額と目の前にある財布の金額が見事に一致している。まさに神様の仕業としか言いようがない。
しかし、すぐに僕の中の良心がむくむくと頭を持ち上げる。10円玉を拾ったのとはわけが違う。17万円が入った財布である。財布には免許証も入っているようであり、落とし主も特定できそうだ。これだけの金を落としたらきっとショックに違いない。
以前、財布を落としたことがあったが、拾ってくれた老夫婦はわざわざ電話をくれ、お礼に持っていった菓子折も受け取らなかった。あの時「なんていい人たちなんだ」と思ったではないか、などと思う。そもそもネコババなどという人の道に反することをしてはいけない。やはり、交番に届けることにしよう・・。
そう思うに至った。
下校指導を終え職員室に帰って、明るい中で再び財布を取り出してみると、免許証が入っていて、当然、名前も住所も記載されていた。年齢を見て驚いた。21歳。若い・・。
何故こんな若者がこんなに大金を持ち歩いているのか?大金持ちの息子なのか?好奇心をそそられて、いけないとは思いながら、無造作に突っ込まれたカード類を見てみると、なんとパチンコの会員カードだの馬券だのがごそごそと出てくるではないか。
さすればこの金はギャンブルで稼いだものに違いない・・。
そう考えた瞬間に、僕の中に何故か憤怒に似た怒りがフツフツと湧き上がってきた。「オレは苦労して働いているのに」「ギャンブルなんぞで稼ぎおって」と被害妄想も手伝って、「あぶく銭ならオレがもらってもいいだろう」という思いが兆す。神様が遊び人の若造からお金を取り上げて僕に下さろうとしているに違いない・・。
そう思うに至った。
人間は、迷いの器である・・。「魔がさす」ことは誰にもある。
ところが、迷った末に、結局、再び、振り出しに戻ってしまう。
「でもなあ・・」みたいな。
そういえば昔、店で2千円の買い物をしたとき、5千円札で払ったら、店員が1万円と勘違いをして8千円のお釣りをくれたことがあった。やったー!と一瞬思った・・のに、店を出て数歩歩き、再び戻って「お釣りが違っていますよ」と言いに行く自分がいる・・。そう聞けば、真面目な人だと思う人もいるかもしれないが、これは「誠実さ」ではなく、たぶん「人間の小ささ」なのだろうと思う。「おてんとうさまが見ている?」みたいな・・。
迷い迷い、優柔不断な自分の小ささに何だか嫌悪を感じながら・・、交番に行くことになる。
帰り道、交番に寄る。財布を拾った経緯を説明するが、出てきたのは初老のなんとなくヨボヨボした警官で、何だか面倒臭さそうな応対である。こんなに悩んでやってきたのに褒めてもくれない。
一緒に中身を確認してくれと言って財布の中身を全部出して並べていく。金種ごとにいくらあるか、カードは何が何枚、免許証、レシート・・メモを取っていくが、エラク手際が悪い。
途中から若い女性警察官(注:婦人警官という呼称に僕らは親しんできたが、1999年に正式には「女性警察官」変更されたとのことだ)がやってきて、見るに見かねたか、奪い取るようにしてパッパッと処理に当たり始め、「ありがとうございます。相手の方も喜ぶと思います」と言ってくれる。
相手の家に電話をかけて確認が取れたと教えてくれる。出たのは母親で、息子は就職したばかりで、研修で三島に来ているとのことでしたと教えてくれる。きっと、仲間と飲みにでも行って落としたに違いない。感謝を申し上げてくださいとのことだった。
「それでですね」と婦人警官は言い、用紙を一枚僕の前に取り出した。
「謝礼をご希望でしたらこちらに丸をつけてください」と言う。
「えっ」と、僕は一瞬虚を突かれたような気持ちになったわけであるが、「謝礼っていうのは自動的にもらえるんじゃなくて申告制なんだ」と僕はこのとき初めて知ったのであった。
しかし、自分の意志が働くとなると「謝礼を希望する」に丸はつけにくい。もし丸をつければ「オレは金欲しい」と言っているようなものであり、僕の行為や精神に、微塵の美しさもなくなってしまう。
頭の中ではいろんなものがグルグル回っていたにもかかわらず、結果的には殆ど反射的に僕は「いりません」と答えていた。
「そうですか。ありがとうございます」
と言う女性警察官の言葉に後ろ髪を引かれるような気持ちになりながら、僕は僕の美しさのために悶えるような思いをしていたのである。
続いて女性警察官が
「相手の方にご自分のお名前やご住所などをお知らせになる希望がありましたらこちらに記入してください」と言う。
そんなことまで聞くんだと初めての体験に半ば感動しながらも、ここでもし自分の名前を書けば、相手に御礼を要求しているように思われるではないかと僕の中の僕が思う。
それでまた、ほとんど反射的に「僕はただ落ちていたものを届けただけですから、別に何も知らせる必要はありません。落とし主に財布が返ればそれで結構です」と、とってもカッコヨク言ってのけていたのであった。
「そうですか。ありがとうございます。とてもすばらしいことだと思います」
と女性警察官は言った。
「スバラシイ!か・・」と僕は自分で自分につぶやきながら、しかし、他人の財布を拾いながら、なんだか自分が落し物をしたような妙にしぼんだ気持ちになってみたりしたのだった。
善とは時にとてつもなく何か寂しいものでもあるような気がした。
そう思うこと自体が「さもしい心」の表白に違いないだろうが。17万円が入った財布を拾ったら、あなたならどうするか? 僕は日本中の人にアンケートを取ってみたい気持ちに駆られたりもする。
交番を出て車に戻るとき、僕は夜空を見上げてみた。
空には星が瞬いていた。所詮、人生は劇的なドラマでも、限りなく美しいものでもなく、あるいは、善というものが、さもしく迷う人間の平凡さの危ういバランスに成り立っているものであるのかもしれないと、美しい夜空を見ながら思った。
・・「上を向いて歩こう。涙がこぼれないように~♪」。
これからは上を向いて歩くことにしよう。
■土竜のひとりごと:第152話
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