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第118話:定時制高校へ

(2001年)4月、僕は定時制に勤務している。
3年前、養護学校に行ったときもそうであったが、今まで僕の中にわずかばかり蓄積した教員としての経験や常識が通用しない世界に来て、文字どおり右往左往しているところである。
養護学校に行ったのも、今回定時制を望んだのも、知らない世界の風に吹かれてみたかったからであるから、それが生ぬるいことでないことは当然覚悟の上のことであったのだが、40歳を過ぎてオロオロトロトロとしている自分は一体なんだろうと考えたりしてしまう今日この頃でもある。

定時制については僕自身も知らなかったし、読者の方々も知らない方が多いと思うので、今回は定時制の外面的なことを書かせていただくことにしたい。

全日制の高校が3年であるのに対して、定時制は4年間学校に通う。全日制の一週間の授業が普通一日6時問、定時制は一日4時間であるから、そこに生まれる差を、もう一年で埋めるわけである。
ただ、通信制を併用することで、3年間で卒業する手段もあり、大学検定やその他の資格を単位認定する方法も併せて、3年間での卒業を強力に推し進めている学校もある。

学校によっていろいろな違いがあるから、ここに書くことも僕の今いる、ある一定時制のことだと思って聞いていただければと思うが、おおよその定時制のかたちはお分かりいただけるかと思う。

一日の日課は夕食(給食)から始まる。ここは完全給食制。その場で作ってくれるので温かいし、なかなかおいしい。外で食べれば、それなりの額はするだろうしっかりとした定食が、200円台で食べられる。大変ありがたい。

早い牛徒はちょうどその頃に来て、一緒に食べるが、17:40までに生徒は三々五々登校しては給食を食べ、始業を待つことになる。
17:40始業。いきなり1時間目が始まる。授業は45分授業。普通科であるので国語、数学といった一般的な教科が時間割に並んでいる。
1時間目終了後、SHR。
5分の休憩を置いて2時間目。
2時間目が終わると10分の休憩があり、ここで給食を食べられなかった生徒が、おにぎりやパンの補食を食べる。
19:30から3時間目が始まり、3・4時間目は休憩なしで連続で行われる。
終業は21:00。SHRもなく当番が簡単な清掃を行って帰る。

生徒数は現段階で1年生35人、2年生22人、3年生24人、4年生19人、全校で100人が在籍している。1年生は2クラス。他は1クラスである。今の定時制としては大きい方なのかもしれない。

僕は3年生の担任だが、その昔の「学ぶ勤労青年」の真面目真面目した面影はない。と同時に少し前の「荒れてすさんだ定時制」のイメージもない。
ひとくくりで括れない複雑さが今の定時制を定義するキーワードである。
高校を中退してきた人、不登校で中学校にほとんど行っていない人、経済的に白分が働かなければ生活できない人、7年間の引きこもりから立ち直ろうと再起して来た人もいれば、定時制を一度辞めて復学してきた人もいる。
ひどいいじめを受けてきた人、家庭的に複雑な事情を抱えている人、台湾から来た人もいれぱ、年齢も31歳から17歳まで幅広い。やたらにうるさい人から全く喋らない人まで、あるいは相当なワルから天使のような人までが、文字通り雑居していると言っていい。

みんな、何かしらの、結構深い傷を心のどこかに持ちながら、それでも毎日を必死で生きている。うわべを飾らない率直さ。みんな、まわり道、寄り道をしてきているだけに、書こうと思えばひとりひとりが一冊の小説になりそうなドラマを持っている。
語弊を恐れずに言えば、人間臭く、おもしろい。

働いている生徒は24人中22人。昼間働き、一日の仕事を終わってゴロッと休みたい時間に学校に来るのだから、たいしたことだと言わなければならない。
学校が終わってから朝まで働き、昼間寝て学校に来る人も何人かいる。その方が時給がいい。昼も夜も仕事をしていて学校でしか寝られないと言う生徒もいる。ゴールデンタイムのテレビとも無縁。仕事と学校で生活に余裕がない。生活が勤務の関係で不規則になる。
そんなことを彼ら彼女らはおくびにも出さないが、よく頑張っていると思う。無論綺麗事では済まされない荒々しさやドロドロもあるが、全日制にいるときには味わえなかった新鮮な風を浴びて、オロオロしながらちょっと感動していると言ったところだろうか。

僕についての近況を述べさせてもらうと、ひどい寝不足の海の中を漂っている。定時制に来るまで迂闊にも知らなかったことなのだが、放課後、21:00を過ぎてから部活動があった。
僕はやったこともないバドミントン部の顧問になったのだが、この部は、週3回、21:20頃から23:00時頃まで(職員の勤務時間は21:30まで)やっている。OBが来て教えてくれるから初心者の僕でもなんとかやっているが、熱が入ると23:30頃になるときもある。
それから帰って、0:00過ぎ。風呂に入り、カミさんと一日の出来事や息子のことなど話していると、どうしても1:00を越えてしまう。それで布団に入るのだが、運動してきて、しかも風呂に入って完全に起きてしまった体はなかなか寝てくれようとしない。ノソノソ起き出し、3:00頃までウダウダ過ごす。従って朝起きることができない。
部活のない日は、クラスの生徒と面接をやる。短い生徒でも3、40分、長い生徒だと22:30頃まで話をしている。僕もいろいろわからないことを聞きながら話をしていると、つい長くなってしまう。「面倒くセー」と言いながら、話し出すと生徒はいろんなことをよく喋る。すごく貴重な時間なのである。そんなわけで、ほとんど毎日が午前様の帰宅となる。

ところが、これも全く迂闊なことに、10日ほどして息子と完全にすれ違いの生活になって、全く顔を合わせることができないことに気が付いた。息子の声くらいは聞きたいし、思春期の息子を放置しておくわけにも行かない。
そこで、7:00に息子が家を出る時にカミサンに頼んで起こしてもらう。最初の頃はたまらず二度寝したのだが、仕事が迫いつかないので、それもやめた。
今は息子の背中をド突いて送り出した後、ゴロゴロとニュースを観、連続テレビ小説「こころ」を見、それからコーヒーを入れて、自分の部屋でそれを飲みながらパソコンと将棋を3・4番やる。
それから仕事。授業も全日制のときのようにはいかないので、読めば内容がわかるその作品の解説文をA4一枚くらいに書いて空欄補充をするようなプリントを作る。これが実はなかなか大変。しかも1~4年まで全クラスに行っていて、1回やると2・3時間かけて作ったプリントは2度と使えないものになってしまう。寂しいし、次へ次へと迫いまくられる。
どうやることがベストなのか、試行錯誤しながら頭を痛めているうちに、午前があっという間に過ぎていく。

正午のニュースを見ながら昼飯を食べ、出勤。12:45から勤務が始まる。夕方から勤務と思っている一般の人がいるかもしれない。実際、昔はそんな時代もあったのだが今は違う。
午後も予習の続きをし、学校の仕事をしていると、これもあっという間に過ぎていく。教員は7人しかいないので仕事もドカンと回ってくる。定時制特有の仕事もあってわけが分からない。16:30から給食も最初はなかなか慣れなかった。病院に入院しているような早さである。
一息ついて、始業。そこから怒涛のように一日の本当の仕事が始まるのだが、一日の終わりに仕事がある!これも変と言えば変な感じなのである。そう。だから、仕事の環境としても生徒にしても、ほとんどすべてが僕にとって新しくてくたびれるわけだが、考え方・感覚の違い、生活の違いといった根本のところで、僕が今まで築いてきた自分の体内時計とはかなりの食い違いがあって、僕は、目をつむれば、そのままどこかに行ってしまいそうな、寒天の中に顔を突っ込んだような何だかどんよりと取り留めのない、甚だ不透明な疲労感の中にいるのである。

カミさんも大変なようである。
くたびれてゴロッとしているから毛布をかけてやるとそのままグーガー寝てしまう。夜は僕に付き合って起きていて、朝は飯を作るのに早く起きるわけだから、当然睡眠不足である。
何だかゴチョゴチョとうるさいときは、体落としをかけて押さえ込み、しばらく押さえつけていると、面白いように寝てしまう。
1時間くらいして起き上がり「何で寝かせるのよ。やらなきゃいけないことがあるんだから」と、またゴチョゴチョとうるさいので、再び体落としをかけて押さえ込んでいると、また寝てしまう。
これは静かでいい。なかなかいい手である、というわけで頻繁に使っていると息子がこれを学習してしまう。「勉強しなさい」とかゴチョゴチョと始まると、体落としをかけてカミさんを転がして毛布をかける。カミさんは「全くお母さんを寝かしつけてどうするの。だいたいあなたがいけないのよ」とか言っているうちに寝てしまう。
鬼のいぬ間のなんとやら。あとは彼は漫画の本を読みながら、のんびりと余暇を過ごすことになるわけである。

そんなこんなで4月が終わろうとしている。

もがいてももがいても俺である
俺という寂しさに似て石ころよ

グーガーと寝ているカミさんの横で、僕は、おのれの今の在り方について、深い深い思索をめぐらしている春なのである。


■土竜のひとりごと:第118話

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