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第92話:夜空ノムコウ

愚話でしかない。

この2月、僕は38歳を迎えた。
間もなく40歳に手が届こうとしていると思うと何か非常に微妙な思いになる。昔、若かりしころは自分が40歳になることなど思ってみたこともなかったし、40歳と言えば全くのオジサンで、自分がその全くのオジサンであるところの40歳になろうとしていることなどおよそ信じることができない。
高校生を相手にしているせいもあって、精神年齢は20歳くらいでストップしていて、いつまでも若いつもりでいる。

いわゆる「中年」なのであるが、かつてこの言葉は「熟年」という言葉に変更されようとしたが定着はしなかった。変更が考慮されること自体がこの言葉のマイナス性を証明していて、したがって自分が既に中年であるとの自覚は甚だしい悲しさを伴うのである。

しかし、そんな思いとは別に自分の中年化は知らず知らずのうちに進行していて、黒々と美しかった髪に白いものが混じるようになったり、前髪を上げると頭のサイドが微妙に後退していることに気付いたりする。
職場の女の子(この言い方もいかにも中年的な言い方である)をヘラヘラからかってみたり、同僚の若い女性を「○○ちゃん」などとちゃん付けで呼んだりしている自分に気が付いたりもする。
僕の駄文を読んだカミさんが「あなたのは最近オジサン的になってきた」と顔をしかめたりするのだが、そう言えば昔は恥ずかしくて使えなかった「オッパイ」などという言葉をいとも平然と書いている自分がいたりする。

それだけではない。
最近中年の象徴である“中年太り”が進行しつつあって大変悩んでいる。中年になると何故ああぶよぶよとみっともないんだろうと思っていたが、それが自分の身に起ころうとは思ってもみなかった。
かつて明確な6個の塊として隆起していた腹筋は跡形もなく消え、同様にかつてキュッとくびれていたお尻から太ももラインもきれいさっぱりなくなって、ともにつかめば“ふにょ”とした脂肪が情けないほどつかめてしまう。
体重は10年前と比べて7、8キロしか増えていないのにこんなに体が“ぶょっ”としているのは筋肉が消え失せて脂肪に変身してしまったからに違いない。

当然のことながらズボンのウエストが段々きつくなり、はけるズボンがなくなって行く。カミさんには「このあいだ3本買ったばかりじゃないの。高いんだから。これ以上ダメにしたら私にも考えがあります」と脅される。
かつてカミさんのことを「ブタブタ」といじめていた僕はかくして図らずもカミさんの復讐を受けるハメになってしまったのである。

ズボンはそれでもよく聞く話なのでそんなものだろうと思っていたのだが、いつのころからかデンブの脂肪ちゃんがその勢力を拡大して来て、段々パンツがきつくなって来た。
カミさんに訴えると、カミさんはさっそく大きいサイズのものを買って来てくれたのだが、パンツのサイズまであがる話は余り聞いたことがなかったので純真な僕は少なからずショックを受けたのであった。

このあいだも健康診断に行ったところ「いまのところは何とか許容範囲ですが、これ以上太らないように努力して下さい」と医者に言われた。体脂肪率計ではかると軽肥満と出て来る。息子にも「デブ」と言われる。「お前に言われる筋合いはない。自分の腹を見ろ」と言ってはみるが、子供のは腹は出ているにはいるがスベスベモチモチとしていてそれなりに愛らしいのに、自分のはブヨブヨダラダラとしていていかにもみっともないのである。
“腹筋が弱って腹が出て来る”と解説したテレビ番組を観て、それから家族3人で腹筋のトレーニングを開始したのだが、僕は一週間続かなかった。諦め易いのも中年になった証拠であろうか。悲しいことである。

そんなわけでただいま僕は中年という泥沼に足を突っ込んだ状態にある。あと10年もすると中島敦の「山月記」の李徴のように、虎ならぬ中年になる運命にのまれて人間としての理性が消滅しているかもしれない。
体は例え中年となり果てても、せめて心だけは人間でいたい。あのすらっとして凛々しく、汚れを知らず純粋に生きていた僕はどこへ行ってしまったのだろうなどと思う。
その過去の自分に今の自分が“見られている”。そういうせつなさが胸を締め付けたりするのである。俗に言う“中年の悲哀”なるものの、これがその正体であろうと僕は最近思う。


少し前にスマップの「夜空ノムコウ」という曲がヒットした。
彼らの歌にしては哀調を帯びたいい歌だと思ったが、

あのころの未来にぼくらは立っているのかな

というフレーズがある。
確かに自分の生きている現在は、あのころ、15歳とか19歳とか、そんなころに夢見た自分の未来なのである。そう思うと何だか寂しい。

つまらない常識などつぶせると思ってた
そんなに思うほどうまくはいかないみたいだ

とスマップは歌うのだが、「そのとおりなんだよなぁ」と思う。
僕は“あのころ”どんな夢を見ていたんだろう。
ただ漠然と未来がほのぼのと開けていたたような気もする。

今、38歳。人生の半ばを既に生きた。
中年太りもそうだが、何だか最近鼻毛が伸びて鼻からはみ出すようになって来た。「これだけは何としても許せない」とカミさんはハサミを持ち出して来てそれを切るのだが、カミさんに押さえ付けられて鼻毛を切られながら、僕は僕の未来という深淵に向かって僕というものを改めて問うてみたりしているのである。

孔子様は「四十にして惑わず」とおっしゃったが、そんなことはない。
僕はどう歩いて行けばいいのだろうか。中年もまた傷付き易く悩み多き人生の青き季節である。


■土竜のひとりごと:第92話


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