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第11話:すさまじきもの

「すさまじ」は古語で、興ざめ・おもしろくない・白けているなどの意味を表す語だが、清少納言が枕草子の「すさまじきもの」という章段で「これって白けちゃうよね」というミスマッチなものを数多く集めて書いているいる。

例えば、その冒頭はこんな具合である。

興ざめなもの。昼間吠える犬(番犬なら夜に吠えるべき)。春の網代(冬の風物詩)。三月、四月の紅梅がさねの着物。牛が死んだ牛飼い。子どもが亡くなった産屋。火を起こさない灰櫃・地下炉(確かに電気のついていない炬燵は余計に寒く感じる)。博士が続いて女の子ばかりを生ませたこと。方違えに行ったところ、もてなし(ご馳走)をしない所などは、たいへん興ざめである。

枕草子:すさまじきもの

以下、冗談半分にそのパロディを作ってみた(中盤は「除目に司得ぬ人の家」に基づいている)。


すさまじきもの。


二日酔いの授業。
100円でない回転寿司。
金の入っていない財布。
少なき給料。
大食い番組。

金持ちたる若者の高級車に乗りたる。
おのが稼ぎし金にて買ひたらむはともかく、親のスネかじりて女の子など乗せたる男、いと見苦し。気取れる服着、キザなしぐさする者、まいていかならむ。形のみ整えて内実のなきもの、いと憎くすさまじ。

授業中の生徒。
春の春眠。冬の冬眠。いにしへより寝る子は育つといふなれど、身体のみ育ちて頭のカラなるこそ悲しきものなれ。あるは机にうつぶしてヨダレを垂れ、あるは上を向きて大口を開く。実にあやしき様なり。近ごろはその技、磨き抜かれ、あたかも授業聞きたるがごとく、目を開け、鉛筆持ちつつ眠りたるもあり。
かくばかり眠きは、さらば家にて夜更くるまで勉強したるか、と思ふてもみれど、さにはあらで、その成績、下降し、地を這い、黄泉の国までも入りつべき気色なり。行く末うたてのみ、とわれは憂ふ。

試験に点取れぬ生徒の家。
今度は必ずと聞きて、愚子持ちたる親のさすがに期待せる。夜食など作りて励まししに、夜の更け行くに従ひて物音失せ、あやしうなど耳立てて聞けば、いびきなどかすかに響き来て寝入るさまなり。宵より眠き目こすりてをりける親、腹立ちて、え怒りにだに怒らず。「大丈夫なりや」など問ふに、「いとうるさし。往ね。」などぞ必ずいらふる。まことに頼みける親はいと嘆かしと思へり。
つとめてになりて、頭に詰めしはずの知識、頭よりすべり出でて往ぬ。古き知識の、さもえ忘るまじきのみ答案に書き、のちは己の取るべき点、手を折りてうち数へなどして、頭ゆるがせたるも、いとほしうすさまじげなり。

また休み時間の教室こそすさまじけれ。
家より持て来しマンガ、雑誌をひろげ、トランプ、花札に興ずる。ポテトチップス、アメの類い頬ばり、チューインガムを噛みつつ世間話に花を咲かせるさまは、あたかもサロン、もしくは喫茶店にて暇つぶす有閑人種のごとし。まいて平然と、アメカス、袋、床に捨つるは、いとわびしくすさまじ。紙飛行機飛ばし、黒板にいたずら書きし、友の背中にシール貼るなど、これらはみな幼稚園児のすることと心得たし。中に勉強したしと思いたる者には甚だ迷惑なことなり。

われの「無為」をなじる者ある、いとすさまじ。
われの自由なるべきに、あらぬ筋にて批判さるることさらにあるべきなし。そを「彼は怠け者なり」「やる気なき者なり」と言ふ人あるは甚だ侮蔑的にて心外なことなり。まいて「役立たず」と言はるる筋合、よもあらじ、とわれは思へり。われは高き理想を掲げる故に「無為」なるにてあれば、怠け者にも、役立たずにもあらず。われはわれなり。
およそ人というものの陥り易き誤りとは、おのれ理解しがたきことを非とし、退けむとすることなり。世の賢人、聖人、理解されず、なほ今われ理解されざるは、みなこの類なり。

さ思はじや? 

かく書きをウチのカミさん見て、「誰か思はむや。くだらぬひがごと」と言ふ。これ、返す返すもすさまじと言へばおろかなり。

(土竜のひとりごと:第11話)



(蛇足・追記)
さて、権力を笠に私欲を満たさむとする者、いとすさまじ。それを隠さむがために、秘書、関連の担当者に責任を負はせ、窮地に至らしむることさへあるに、それだに意に介さで、権力にあり続けむとするは、いかにぞや。まして、公文書の改竄、廃棄など、その行為、すさまじと言ふもおろかなり。おのれの都合にて事実も人情もねぢ曲げることの、いづこに信あらむやは。

汚職も然り。接待にて総務省官僚の食べたる七万円の食事とは、いかなるものならん。一生に一度食べてみたしとも思へど、また、馬鹿げて食べてみたしとも思はぬとも思ふ。桜を見る会、河井夫妻選挙買収、IR汚職・・、金にまつはる悪業、とどまるところを知らず。その金にて途上国の子ども幾人の命救はれるかなど、国の中枢にある者の考へ及ばぬ行政も政治も、すさまじといふほかなし。

われは昨日、自動販売機に入れんとした五百円玉をあやまちて下に落としつ。こともあらむに、落ちし五百円玉、そのまま側溝の隙間より中に落ちぬ。
ウオーーーッ!
と叫べども、もはや取り戻す術なく、そを嘆息すること終日なり。
庶民たるは、さやうな日々を生くる者なり。国はそを守るものなり。さ思はじや。

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