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第56話:電車

[ 子育ての記憶と記録 ]

  
子供を初めて持った頃
寝ている子供があんまり静かなものだから
ひょっとしたら
こいつ息をしていないんじゃないかなんて
夜中に幾度か起き出して
子供の息を確かめてみたり
時には抱き上げて頭を撫でてみたりしていた
大丈夫に決まってるって顔をして
いつでも子供はスヤスヤ眠っていたのだが
自分の胸に全てを預けている子供の重みは
いかにも無防備にコトンとしているのであって
親というやつは
その無鉄砲に投げ出された信頼に
いまさらのように
驚かずにはいられないものらしい


全く唐突な話だが、ウチの亮太はただ今電車にオネツで、どこにいようがどこに行こうが電車のことが頭を離れないらしい。

テレビに電車や機関車が現れると即座に反応し「あっ、でんしゃでんしゃ、みて-」と叫ぶ。遊園地に連れて行っても電車しか乗らない。夜、寝る時は電車の本を布団にくるまりながら見てなかなか寝ようとしないし、どこかに旅行に行く時は必ずその本をもって行く。木製の線路を組み合わせてその上を電車を走らせるおもちゃをカミさんが買ってやったのだが、ちょっと時間があれば持ち出して来てこれをやっている。

一人でやってくれれば良いのだが必ずカミさんか僕を引きずり込み、短時間で終わってくれれば良いのだが、これを自分が飽きるまでエンエンとやる。ついこの間の日曜日には3時から夕飯をはさんで10時まで、この電車ゴッコをしていた。
親は当然のごとく既に飽き切っているのだが、本人には全くその気配はなく、一日中やらせてもやり続けてしまうのではないかと思われる異常な熱中ぶりなのである。

中でも彼が好きなのは信号や踏切の遮断機であって特急図鑑の中の信号はとにかく全部捜し出して教えてくれる。たとえどんなにそれが小さくかすんでいても見付け出すのだからそれはほとんど感動に値する妙技である。
オバアチャンが買ってくれたゼンマイ式の遮断機をそれを巻く手が痛くなるまでやらせてくれるし、車で出掛ける時には踏切を通らないと気が済まない。


これもこの間の日曜日のこと、カミさんが美容院に行きたいと言うので亮太を預かったのだが、どこかに行きたいかと問うと「チンチン行きたい」と言うので、雨降る中、車で出掛けたのである。

とある踏切の前の空き地に車を止めて見ていたところ、割とすぐに電車が来た。亮太は喜び雨の中に飛び出して「チンチンチンチン ガッタゴトーンガタゴトーン チンチン カチャ」と殆ど絶叫して見送ったのだが、小さく消えて行く電車を二人で見送りながら「さて帰ろう」というと、これがこの子が「うん」と言わない。「チンチン見る」と言うのである。
「御殿場線だから電車なかなか来ないよ」と説得するのだが、「ううん」と言う訳で、その理屈もこの子には通じない(こういう頑固なところはカミさんにそっくりである)。
仕方がないので車に乗って待っていると、20分ほどしてようやく電車が来た。亮太は再び「チンチンチンチン ガッタゴトーンガタゴトーン チンチン カチャ」と絶叫したのだったが、しかしこれを見終わっても「帰ってあげる」などという殊勝な事を言う気がこいつには全くない。

仕方なくまた車に入って次を待ち、次が来るとまたその次を待ち、その次が来るとまたその次の次を待ち…。
途中、ローソンに行ってお弁当を買おうという商談が成立し、これを潮にそのまま帰ってしまおうとモクロンでもみたのだが、そういう僕のモクロミを察知する能力には長けていて、「ねえチンチンは?」と2分に1回位、思い出したように僕に確認を取る用心ぶりなのである。

結局、エンエン4時間半、まるで恋人と肩を寄せ合いながら港から出て行く船を見詰めるように、ほとんど憎しみ合いながら二人で電車を待ち続けたのであった。

かくして亮太は当初のあどけなさ、頼りなさから脱して、とてつもないキカンボウに育ちつつある。
怒られるとションボリしてうなだれる技も覚えた。カミさんは「もうあの店には一週間は行けない」と“あの店”での今日の亮太の悪行のホトボリが冷める日数を算出し、僕は僕で亮太の電車ゴッコに付き合いながら、次の日曜日も電車漬けの一日になるのではないかとひそかに恐れているこのごろなのである。

(土竜のひとりごと:第56話)

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