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ノミュニケーション

まだ20代だった頃、新設校に勤めたことがあり、新設校らしく若者が集めらたこともあって、とにかくよく飲んだ。

みんなで飲みに出掛けるとワリカン負けしないようによく飲みよく食い、二次会は歌い踊りまくり、もう一軒まわっていい加減に酒も肴も腹に収まり切ったころ、誰かが焼き肉へ行こうと言い出す。

僕などはもう腹一杯でビールにも肉にも殆ど手を出す気にもならず、ワリカンの頭数としてそこに座っているだけであるのに、その後決まってラーメンを食べに行こうということになる。

「今日は二次会までだと言ったじゃないか」と抗議すると「だから2時じゃないか」と既に「明日」になっている時計を見せて言ったりする。ついて行けない。酒癖の悪いのもいて、やたらに難しい議論を吹っかけて来てその議論に行き詰まると相手に頭突きをくらわせて打開しようとする奴、飲むと必ず物体になってしまう大男もいて、これを担いで送り届けなければならないこともある。

飲み会の度にこんな連中にこんな具合につき合わされて僕はひどい目に合っているというのに、それでいて家に帰るとカミさんに「遅い!」と叱られるのだから、酒など全く割の合わぬ話だったのである。


大学時代も大変だった。僕は酒など殆ど飲んだことがなく大学の体育会に入ってしまったので飲み会は恐怖に値した。月に一度くらいは酒の公式行事があり、その度ごとにビール瓶ラッパ飲みだとか日本酒ドンブリイッキだとか、そんな飲み方ばかりさせられていた。

飲めないからなどという言い訳は通じず、適量の酒を心地よく飲めるのは上級生だけ。飲まされては吐き、吐いては飲まされ、殆どトイレの便器に捨てるために飲み食いするのが僕のような飲めない一年生の役割だったのである。

コンパの前にはどうせその席では何も食べさせてはくれないからと、コンパに向かう道々でパンを買っては食い、バターや牛乳を腹に入れておけば酔わないと聞けばそれを愚直なまでに実行したりしていた。それでも酔い潰れて惨めな姿をさらしてしまうのだから酒が楽しいなどとは間違っても言えなかったのである。

わけても悲惨だったのは新入生歓迎のコンパで、事実上僕はこの時初めて酒を飲んだことになる。酒の良さも怖さも、味さえも全く知らなかった。新歓ということで一人一人回って来てくれる先輩のついだ酒を飲み、女の先輩の「私のお酒が飲めないの」などというかわいい脅しに誘われてまた飲み、しまいには寿司の器にナミナミとつがれたビールを調子づいて飲み干したりしていた。

味も怖さも知らないから飲めたということになろうが、当然のことながら酔い潰れて一次会が終わるころには既にその記憶もなく、ただ誰かに介抱されながら吐いていたことだけをうっすらと覚えている。途中一度だけ身体にガツンという衝撃のあったことを記憶しているが、後で聞いたところによると僕を背負って運搬している途中、先輩が誤って道路に落としたのだそうである。そのほかのことは全く覚えがない。

気が付いたときには既に夜が明けており、うすぼんやりとした部屋の中に電灯の垂れ下がっているのが見えた。「ここはどこだ」と思って身体を起こすとベットに寝ている見覚えのある先輩の顔が見えたので、「なるほど担ぎ込まれたんだ」と納得したが、よく見ると自分が寝ていた畳の上には新聞紙が一面に敷かれ、その上に自分がパンツ一枚でぽつねんと寝かされていることを発見した。

「これはどうしたことだ」と思って立ち上がって服を探すと、服には何やら茶色のベタベタしたものが付いて異様な臭いがし、「さては」と思い付いて自分の寝ていた跡に目をやると嘔吐物があちらこちらに散乱していた。「これはひどい」と頭に手をやると、髪の毛にも自分の吐いたものがベッタリくっつき、半ば乾きかけてバリバリしている。吐いたものの海の中に頭を埋めて寝ていたことになるのであって、そんな人生最初の経験に嫌悪を感じながら、台所の流しで頭を洗ったりしたのだった。

随分汚い話になってしまったが、この臭いとビールの臭いはしばらく僕の脳裏に付いて離れず、夏ごろまでは酒屋の前を通り掛かったり、道に落ちているビール瓶の栓を見ただけで思わず吐き気を催したりしていた。

そんなこんなが、僕と酒との出会いだった。


かくのごとき悲惨な思いもしたが、今、コロナで外で酒が飲めなくなってしまってみると、人と酒を飲むことが恋しい。
なんだかんだで誘ってくれる卒業生と飲むのが楽しみだったのだが、職場にコロナを持ち込むわけにはいかず、断らざるを得ない。
ノミュニケ―ションが大事だ」とかつて酒好きの職場の先輩はよく言っていて、昔はのんべーのたわごとのようにも思っていたが、なかなかの真理なのかもしれないと、このごろ、思ったりしている。

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