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Re Think

雑感です。
朝、テレビをつけ、「サンデーモーニング」を観ていたら、ジャーナリストの伊藤詩織氏がTwitterでの誹謗中傷を訴えた東京地裁の判決が採り上げられていました。
裁判では、Re Tweet(リツイート)も不法行為としてその責任を負うという判断が示されたことで話題になっていますが、それはそうだろうとも思い、でもそれが現実的なのかもTwitterを知らない僕にはよくわからないところではあります。

ただ、番組の解説の中で、Re Tweetするときに「Re Thinkするアプリ」もあって・・という言葉があり、「へぇ、そんなのあるんだ」とちょっとびっくりしました。

Re Think=「再考する」ことはとても大切です。SNS上の発言は、誰かを傷つけないために発信する前にRe Thinkする必要がある。
Re Thinkするアプリ」は、意図的な悪意は勿論ですが、何気なくしてしまうリツイートや、一時的な感情から発せられる言葉も防いでくれるかもしれません。

ですから、そのアプリに対して、あるいはそれを考え出した人を批判する気持ちは全くありませんが、「アプリにやってもらうことじゃないだろう」という違和感?、人間のマナーの欠如への違和感?技術がその問題を新たな技術で補う過程に人間の倫理観の不在が見えてしまう違和感?を感じたりしました。


多分、まったく的外れな引用になると思いますが、羽生善治氏がNHKのインタビューの中で、次のようなことを語っていました。

AIの機械学習で「敵対的生成ネットワーク」という技術があります。たとえば、二つのAIがあって、Aには偽札をつくらせ、もう一方のBには偽札を見破る警察官の役割を担わせます。すると、Aはどこまでもひたすらに精巧な偽札をつくり、Bはそれを見破る技術をどんどん高めていきます。こうして二つのAIは互いに高度な能力を獲得していきますが、はたして高めるべき能力なのかどうかの判断は、倫理観の問題になってきます。(中略)AIの登場によって、人間の本質的な部分への問いかけがもたらされているのではないかと感じますね。(NHKHPより引用)

筋違いとは思いますが、わけのわからない堂々巡りの迷路の中にいるような違和感は何となく共通するような気がします。本質はどこ?

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Re Think も Think も猫は夢の中


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