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第105話:共通テスト切り付け事件

前話の続きのような話です。

荒れる成人式・・そんな時代があったと、平和な成人式の報道を観て思い出してみたりしたことを前話に書いたのであるが、 ただ、本当に平和な時代になったのかと言えば、そうでもない。
確かに、生徒たちに尾崎豊の話をすると「もう時代が違う」と言われたりもする。ひょっとすると、ジェームスディーンの由なき反抗を観せても「もう時代が違う」と言われるのかもしれない。

ただ、若者のエネルギーはネットやゲームやSNSのつながりといったような内向きの世界にくすぶっていて、そのほころびからハロウィンのほとんど暴動に近いような騒ぎが漏れ出してきているのかもしれないと思ってみたりもする。

今回の共通テストの会場前で三人を切りつけた事件(2022.1.15)の名古屋の高校生もそうだろう。
詳しいことは分からないが、東大に入り医者になることを目指していたが、成績が落ちてきたことに悩んで「死にたい」と思ったと報道されている。
彼にとっては大学受験が自分の人生のその後を決定づけてしまう失敗の許されない事態として要求され、意識されていたのだろう。失敗や再出発を許さない環境は厳しい。
失敗=死であれば、大学受験=人生のゴールということになってしまう。

そうではない。


荒れる成人式当時を振り返ると、天声人語はこう書いていた。

子供たちが勝手に歩き回って授業にならない小学校、私語がまん延する大学。成人式はその延長上、あるいは同心円の中にある。

成人式のみの問題ではなく、その背景に目を向ける必要性を書いているが、子どもは大人の作った社会で成長するしかない。

当時おもしろいと思って取ってあった記事に去年の静岡市での成人式にかかわる一騒動を書いたものがあるのだが、それによると若者のマナーの悪さに怒った市長が今後の成人式の中止の可能性を示唆した。
その理由が次のように書かれている。

成人としてあるまじき態度だった。成人式の費用は一千万円近い。だれも話を聞かないようでは税金を使ってまで式を続けるべきかどうか疑問だ。

さぞかし腹が立ったんだろうなと僕は同情と共に記事を読んだのだが、記事はさらに続き、これに地元の呉服商組合が猛反発したとある。

成人式用の振り袖の売上は各店の年間売上の2,3割を占め、市内で推定7,8億円にのぼる。そうでなくても和服の売上が減少している業界にとって成人式廃止は死活問題と抗議行動を起こす構えを見せている。早くも来年のキャンセルが出て、ある店では10件の予約のうち3件がキャンセル、約2百万円の売上減になった。

それで両者の間に激烈な火花が散ったと伝えている。

ちょっと微妙ではないか?
市長は税金という公費を預かっている身であり、呉服商は生活そのものがかかっているのであるし、自分を棚上げして避難を気取るつもりもないが、この論争にの焦点は「金」であって、少なくとも子供を取り巻く環境をどうしたらいいかという視点はない。

僕らは資本主義という社会の中にいて自然と利益や効率という尺度でものを見る見方を身につけ、便利な物の溢れる生活の中で物質的に恵まれなければ豊かではないと考えるようにもなってきている。
競争社会の中で生き抜くために、必要なことが無意識に子供たちを支配していると言えるかもしれない。
あるいは、情報化も、負の側面を言えば、SNSの被害やゲームの異常な盛況、暴力シーン・ネットの猥雑動画の氾濫も問題であろう。

自由と言われる社会が不自由な社会を作り上げ、子供たちを圧迫している。
ひょっとしたら、分断という世界で躍っているキーワードが子供たちの社会に影を落としているかもしれない。
それは大人が作った社会の中を子供達が生きているということである。
そういう視点が大人たちに必要なのであろう。


明日は共通テストの自己採点の日。思うようにいかなかった生徒が泣いたりがっかりしたりするのを見るのが、例年つらい日でもある。
みんな、どうだったろうか。笑顔でいられるといいが。

受験の成否が人生を決めるわけではないいつでも再出発できる

僕の人生の数限りない失敗を生徒に話してみることにしたい。


■土竜のひとりごと:第105話

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