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私の中の龍 #12

【私の心の中に住んでいる飼い犬のくぃ】


くぃは実際にうちで飼われていた犬だった。17年半の間、私たちの家族として共に過ごしてくれた。
彼が亡くなった時、私の中から彼の記憶の全てが消えてしまった。彼の遺体は目の前にあるし、涙が込み上げてくることもあるし、飼っていたという事実も頭ではわかっているようだった。けれど、彼に関する感覚の記憶、視覚・聴覚・嗅覚・触覚が覚えているはずの記憶が一切無くなってしまったのだ。だから、飼っていたという事実はわかっていても、どんな顔だったのか、そういったことすら思い出せなくなってしまった。

当時私はインスタに、彼をモデルにしたイラストを描いていた。ほぼ毎日描き続けながら、もし彼が亡くなったとしても、描き続けようと決めていた。彼が亡くなった後しばらくして再開したが、描くためには思い出さないとならない。生前の写真を見てもあまりピンとこないまま、それでも出来事の記憶を思い出しながら描いた。そうして描いているうちに少しずつ、新しい記憶から思い出してきた。おじいちゃんで、ボケてて、目もよく見えておらず、ヨボヨボと歩く姿。こんな顔で、こんな手触りで、こんな匂いがして、こんな声で吠えていた。そんなふうに感覚の記憶を取り戻していきながら、彼の若かったころ、子犬のころと時を遡るように思い出してきた。その時私は強く思った。

この記憶を鮮明なまま忘れたくない。鮮明なまま覚えておくためには、毎日鮮明に思い出す必要があった。


思い出すというのは、脳の中に彼を再生するということ。彼の顔はもちろん、滑らかな毛並み、肉球の弾力、頭の匂い、ワンワンという声の全てを脳内で再生することを試みる。

そうして彼を再生しているうちに、彼を人間と同じように二足歩行の会話のできる犬の姿でインスタに登場させたくなってきた。なぜか自然にそう思った。

彼を思い出す毎日の中で、同時に彼とずっと会話をしていた。最初のうちは生前と同じように、「おはよう」とか「おやすみ」とか、たまに愚痴も聴いてもらっていたのでそんな話もした。

最初は「おはよう」と言ったら「おはよう」と返してくる。その姿を自分の脳の中で、自分で創り出し再生していた。子供が想像の世界でお人形遊びをするように、漫画家や小説家が自分で創り出したキャラクターを動かしていくように、私も「くぃ」という犬を一生懸命、イマジネーションの力を使って動かし続けた。

今ではすっかり、この「私の中の龍」の冒頭で描いた通り、「友達ができた~! 」と大喜びしたり、嬉しそうにクルクルと走り回っていたりするようにまでになった。


龍も犬も私の中にいて、私のイマジネーションの世界で自由に生きている。肉眼では見えないものを怪しいと遠ざけてしまうことは簡単だけれど、そうしてしまうことは、どこか人生を少し寂しいものにしているようにも感じている。生きることの楽しさは人それぞれだから全く押し付ける気はない。けれど、見えていようが見えていまいが、自分に対して絶対的な味方がいるということを感じていられるのなら、一人ではない強い気持ちを持つことができるのではないかと思う。
現実を外側の世界とするなら、イマジネーションは内側の世界。私の内側の世界はそんなふうに毎日が過ぎていく。この現実は内側にあるものが外側に投影されたものなのだとしたら、自分の内側の世界を育てていくことで、素晴らしい現実を目にすることができるのではないかと考えている。

おしまい……
最後まで読んでくださってありがとうございました
あなたにも絶対的な味方がきっといるはずです

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