くたかコラム:ニワタリ神と金山彦・砂金について

くたかコラム
 上海アリス幻樂団様が制作した弾幕STG『東方鬼形獣』に登場するニワタリ神、庭渡久侘歌について、あれこれ調べたり想像したりしたことを書き留めておきます。Twitterで呟いたことをまとめることも。

ニワタリ神と『金』

 以前、東北にあるニワタリ神社を巡っていた時に気になるものを見かけました。

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 これは宮城の『見渡神社』で撮った写真です(神社の紹介は別記事)。写真だと見づらいですが、鳥居には『金山彦神社』と書かれていました。この金山神社の鳥居は、見渡神社の鳥居の横に並ぶように立っていて、社はありませんでした。
 金山彦神社(以下、金山神社とします。全国的には金山神社と呼ぶところも多いようです)は、鉱山や鍛冶、鉱業に関係する神社のようです。
 神社は明治時代末期に、複数の神社をまとめる動きがあったそうなので、この金山神社ももともとは別のところにあったものを見渡神社と合祀したものなのでしょうか。

 ただ、金山神社の鳥居がニワタリ神社と同じ境内にあったことで、いくつかの資料で見ていたニワタリ神社と『金』の関連について妄想が広がりました。今回は、ニワタリ神社と『金』の繋がりについて広がった妄想を書いていきたいと思います。

ニワタリ神と鉱山を(無理やり)繋げてみる

 上記のように金山神社は鉱山にまつわる神様を祀った神社です。上記の写真は、神社合祀で近場にあった神社同士を一緒くたにした……と現実的には考えられます。
 しかし少々趣向を変えて、鉱山とニワタリ神に何か繋がりを見出せないかな、神社合祀でも何らかの関連性があった神社同士がまとめられた可能性はないかなと考えてみます。すると、薄ぼんやりと細い糸でどうにか繋げることができました。無理やり。

 以前、自分は東北の隠れキリシタンと久侘歌の繋がりについての妄想を書きました。そして、どうやらその隠れキリシタンが潜む場所として、複雑に入り組んだ鉱山の坑道が用いられていたそうです。
 自分たちを見つけて処刑しようとする役人から身を隠すために、鉱山はうってつけの場所だったようです。
 「ニワタリ神と隠れキリシタンが繋がるかもしれないし、隠れキリシタンと金山神社も繋がるかもしれない。だから、隠れキリシタンを介して、ニワタリ神と金山神社がつながるかも?」という奇説になります。説かどうかも怪しい。

『金』とゆかりのある東北の地

 ただ、もう少し妄言を続ければ、ニワタリ神が土着神として定着していた東北の地は、元から『金』とゆかりのある土地だったようです。ここでいう『金』はGoldの金で、金山神社の鉱山などの意味合いからは少々外れていきますが……。

 東北の宮城には、日本ではじめて金(砂金)が採れた涌谷という土地があります。涌谷には、今も黄金山神社として初の金の産出地を祀る場所が残っています。
 そして万葉集では、金の初産出地である宮城県涌谷の土地を指して「鶏が鳴く東の国の陸奥の小田なる山にありと……」と歌われていたといいます。
 鶏って詠まれてる! 鳴くって! 金と鶏と繋がってる! ニワタリ!?
 はい。自分の妄想に都合よく事実を繋げていっているだけです。
 万葉集における「鶏が鳴く」は、東北を意味する「東の国」の枕詞で、特に意味はないそうです。つまり、『鶏』はこの歌に無くてもいい言葉で、特に『金』と繋がる言葉とは言えない。

 ただ、ここから少なくとも万葉集の時代、700年代のころから、東北の地は金の産出地として知られていたと分かります。そしておそらく、その時代からニワタリ神は東北の地で信仰されていた可能性があります(というのも、ニワタリ神が司る灌漑は農耕の中でも原初的なものだからです。ここから、灌漑という概念も、それを司る神様も、存在は古くからあると考えられます。また宮城には2600年前に紀元をもつらしい神社が確認できました)。
 そして実は、「鶏が鳴く」が「東の国」の枕詞である明確な理由も定かではないそうです。
 こういう事実が並んでいると「もしかしたら万葉集で詠われる『鶏が鳴く』の由来は、当時東北の地で有力だったニワタリ神かな?」と想像を広げたくなります。

 もうちょっと言えば、鶏は「金鶏伝説」という形で金と繋がりやすい動物でもあります。東北でも岩手県の平泉に金鶏山という場所があり、そこには「平泉を守るため黄金の鶏を埋めた」という伝説があるとか。そうするとここに『ニワタリ神(≒鶏)』と『金』との薄ぼんやりした繋がりをほんのり幻視できるかもしれないわけです。

 (ただ、そんな風に想像をしていると「いつニワタリ神が鶏の神様としての側面を持つようなったか?」という部分が大切になってくるように思います。今回の妄想では「鶏と金」の繋がりから「ニワタリ神と金」の繋がりを論じています。しかしニワタリ神は元々鶏の神様ではなく、水や灌漑の神様に起源があるのではないかとする考えが強いです。すると、ニワタリ神が鶏の神様としての側面を持つより以前は、ニワタリ神と金は繋がらなくなる可能性も出てきます。あるいは「川と砂金」という繋がりから、「ニワタリ神(水神)と金」も繋がり得るのでしょうか? この辺りはいつかまた別記事で書ければと思います。)

まとめ:ニワタリ神と『金』の繋がり

 いろいろととっちらかってきましたが、補足を交えつつまとめていきたいと思います。
 ニワタリ神と金の繋がりについて考えていくと、

①:700年代より以前。川で砂金が採れる。また、鶏と金とも古の日本では繋げられて考えられることが多かった様子。
 →川や鶏の神様のニワタリ神と、砂金や金が結びついていたかも?

①と②の間:川での砂金の採取は段々と上流に上っていき、それが源流までくると山で鉱山を掘ることにつながっていったそうです。東北でも砂金が川で採られた後、金脈を求めての鉱山採掘が行われていた……かもしれない。

②:1600年代ごろ。キリスト教の禁教があった際、弾圧から隠れ潜む場所として、東北の鉱山の坑道が用いられていた可能性がある。
 →以前のコラムの妄想で考えたように、久侘歌も隠れキリシタンが潜む手伝いをしていた? その時の隠れ場所としての鉱山。

 ……という具合になるのかなあ、と。八割くらいが「かもしれない」と「可能性がある」に依拠している都合のいい妄想です。

 ちなみに一番はじめに挙げた見渡神社の話に戻ると、件の神社は江合川という一級河川に沿う場所に位置しています。
 そして江合川は上記の砂金の初産出地、涌谷にも通っている川のようです。砂金は川で採られていたわけですから、もしかしたら見渡神社の傍にある江合川も砂金の採掘に何らかの形で関わっていたり……? というこじつけが広がります。

 ここまでニワタリ神と金の関連を妄想してきましたが、久侘歌がお金に執着するイメージもあまりありませんね。なのでもしもニワタリ神と金が結びつくとしても、久侘歌は危険が伴う金の採集に励む人々を見守り、安全を守っていたのかな、なんて想像します。

 幻想郷で水と金といえば、河童で守銭奴のにとりなんかが思い浮かんだりするので、案外久侘歌とにとりは相性がいいのかもしれないですね。久侘歌は妖怪の山の滝の近くに住んでいますし。

 というわけで長くなってしまいましたが、今回はここまでで終わりたいと思います。長文お読みいただき、お疲れさまでした。

 なお、ここに挙げた情報は、あくまでも外の世界ではこんな記録が流れているよー、程度のものです。真実が何であるかは知る由もありません。
 あなたが幻を視る一助になれば幸いです。素敵な幻想郷ライフを。

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