くたかコラム:ニワタリ神と東北キリスト教

くたかコラム
 上海アリス幻樂団様が制作した弾幕STG『東方鬼形獣』に登場するニワタリ神、庭渡久侘歌について、あれこれ調べたり想像したりしたことを書き留めておきます。Twitterで呟いたことをまとめることも。

久侘歌とキリスト教

 久侘歌のテーマ曲「セラフィックチキン」。「セラフィック≒熾天使≒キリスト的信仰」ってことで「これはもしかして久侘歌って土着神と仏教要素だけでなく、キリスト教要素も持ってるってことです?」と思い浮かんだことが、久侘歌とキリスト教の繋がりを考えてみようと思ったことのはじまりでした。

ニワタリ神とキリスト教のつながり

 一応久侘歌ことニワタリ神の起源の東北では、仙台藩の藩主伊達政宗がキリスト教の布教に噛んでいたという歴史があるようでした。
 久侘歌ことニワタリ神は、百日咳を癒すの信仰で一度流行っています。百日咳の名前が日本で作られたのが1800年ごろ、東北でキリスト教布教と弾圧があったのが1600年ごろのようなので、久侘歌は時代的には十分、海を渡ってやってきたキリスト教を学んでいた可能性があったのかもしれないです。

いろいろとこじつけて妄想してみる

 東北のキリスト教と久侘歌の関連について、もう少し深いつながりをこじつけて考えることもできます。

①ニワタリ神が東北の布教に噛んでいた可能性
 たとえば、久侘歌がキリスト教布教に噛んでいたという妄想。
 伊達政宗がキリスト教の布教を行っていた背景として、外国勢力と結託するためにキリスト教と繋がろうとした、という側面も強いと考えられているようです。実際、伊達政宗は国内での布教だけではなく、支倉常長ら慶長遣欧使節をスペインに送って外国とのやり取りをしています。
 そうすると当然、スペインに行くには渡航の必要が出てきます。そして当時伊達政宗が治める東北には、渡航をはじめとする水の信仰を集める久侘歌がいました。そこで久侘歌がスペイン渡航をする上で信仰の対象となっていた可能性もある程度考えられます。
 もう少し妄想を進めるなら、久侘歌は慶長遣欧使節についてスペインまで渡航し、そこで現地の信仰を学んでいた……みたいなこじつけも考えられたりするのかも。

②禁教下でのニワタリ神
 その後、伊達政宗はキリスト教の布教を進めていましたが、徳川の禁教(キリスト教信仰の禁止)で一転してキリスト教の弾圧に回りました。弾圧は、河原にキリシタンたちの打ち首が並べられたくらい惨いものだったと考える人もいるとか。
 一方でキリシタンたちも、隠れキリシタンとなって密かに信仰を続ける人たちがいたらしいです。久侘歌はいまも「セラフィックチキン」と結びついている辺り、キリスト的信仰の側面は失っておらず、弾圧の時期もキリシタン側にいたのかなー、とも考えられます。
 東北のキリスト教の弾圧中には、宣教師たちがが東北各地を回っていたとの話もあります。もしかすると久侘歌もその宣教師たちに同行し、まつろわぬ者(≒鬼)となって、各地を渡っていたのかもしれない……っていう想像もできたり。

まとめ:久侘歌とキリスト教

 以上のことから、久侘歌とキリスト教の繋がりを妄想をまとめると、

①:キリスト教を介して外国勢力と繋がりたい藩主たちから、スペイン渡航祈願の信仰を受け、渡航を助ける。
②:もしかしたら久侘歌も一緒にスペインへ渡航してキリスト教を学んでいたかも?
③:それ以外にも、久侘歌が仙台藩のキリスト教の布教を助けていた可能性はある。
④:その後、藩主たちがキリスト教の弾圧を始めた後も、弾圧される隠れキリシタンたちを助けた。

 という具合になるのかなと。
 こう妄想してくると、自分が信仰のきっかけになったキリシタンたちが、自分もかつて協力した藩主らによって弾圧されるのを目の当たりにして、久侘歌はどんなことを想っていたんだろう……と少し想像したり。鳥頭だからもう忘れてるんですかね。

 なお、ここに挙げた情報は、あくまでも外の世界ではこんな記録が流れているよー、程度のものです。真実が何であるかは知る由もありません。
 あなたが幻を視る一助になれば幸いです。素敵な幻想郷ライフを。

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